Mountain Drifter!

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2005.5.9 ヒグマ
増補改訂版 (門崎允昭他) 北海道新聞社
冒頭の一文は「クマによる人身事故を避け生還するためには「鳴り物と鉈」の携帯が必須条件である」。つかみはおっけー、という感じである。
ただ、下の「山でクマに会う方法」で推奨されている「ヘタに抵抗しない」を真っ向から否定している辺り、学説的に対立する人なのかも知れない。私としては、鉈持って戦う方に一票入れたい気がする。(実際その場に行ったら「首をおさえてうずくまる」しかなさそうな気もするが…(^^;))
自然は自然のままにという立場なのか、人間よりクマの方を大事に思っているニュアンスが伝わって来る。まあ、それもまたよし。

2004.8.29 クマにあったらどうするか (姉崎等) 木楽舎
ヒグマには、「止め足」という行動があるそうだ。ハンターがクマの足跡を追って行くと、それがふつっ、と消えてしまうことがある。ある所まで行ったら、自分の足跡をなぞって戻り、ハンターにわからないように横に逸れて逃げて行くというのだ(手負いなどの場合は、途中で待ち伏せをしていることもあるという)。非常に知恵のある動物なのだ。
この書は、単独行でヒグマを40数頭も仕留めたという著者の語りを、アイヌ関係の映像作品を多数手がけている片山龍峰という人が聞き書きしたもの。「クマが狩猟、いや人生の師匠」と言い切る著者の貴重な体験と見識には、固唾を呑むほどの迫力がある。
さてしかし。こういう本を読むと、本を読むという行為にふと疑問を抱いてしまう。「体験」を活字で追体験して、わかったような気持ちになることに、何ほどの意味があるだろうか?

2004.6.27 山でクマに会う方法 (米田一彦) 山と渓谷社
北海道で山に登るんなら、クマに関する知識も仕入れておかなきゃね、るんるん♪ と言いつつ買って開いてみたら、いの一番に「ヒグマについてはほとんど扱っていない」と書いてあるではないか・・・ガッカリ。それもそのはず、ツキノワグマの研究者さんが書いた本なのである。
まあ気を取り直して読んでみる。普通なら「会わない方法」になるだろうが、研究者なら会わないわけには行かない。文字通り、いつ、どこで、いかようにしたらクマに会えるか?という本なのであった。ひるがえって、会いたくない人はその裏返しを実践すればいいことになる。
いわく、クマは臆病な生き物なので、こちらの存在を知らせればよい。ベルや鈴をつけて歩く。またいわく、クマのいる所には近づかない。新しい糞や足跡、目撃情報に接したら速やかに下山する。さらにいわく、早朝や暮れ時にクマは活動する。いつも以上に食料を求める秋深く、春の頃はまた危険、うんぬん。
さて一方クマに出会ってしまったらどうするか。まず怯まない。少し距離があるようなら、相手に声をかえて人間がいることを知らせる。じっと相手の目をみつめ、ゆっくりと後ずさりする。時々相手が逃げ出す隙を作ってやる。もし襲われたら、ヘタに抵抗するよりは首を手で押さえ、うつぶせになる。なお、クマは足が速いし(一説には100mを7秒で走る能力があるという)、木登りもできる。
木に登っては夢中になって木の実を食べあさるとか、越冬のためにとんでもなく狭い木のウロに入り込んだりするとか、記述されたクマの生態は微笑ましくさえある。正しいつきあい方を知って、共存共栄を図りたいものである。

2003.12.9 山名の不思議 (谷有二) 平凡社ライブラリー
登ったリストを眺めつつ、まだ「岳」のつく山がないなーと思っていたら、この本に出会った。日本人はフジサンと言うのに、なぜ外国人はフジヤマというのか。なぜピークなのに峠と呼ぶ地域があるか。なぜ丸っこいのに「槍」と呼ぶ山があるか・・・など、由来を解きほぐしながら山名の成り立ち方を考える。
興趣はそそられるんだけど、酒席の会話みたいに文脈が散漫で読みにくかったり、アイヌ語地名の解釈がけっこう怪しかったりして、期待値は下回った。

2003.11.15 マークスの山 (高村薫) 講談社文庫
この項、一番下に掲げた本の文庫版。“書き直し”と言えるくらい加筆されたというので改めて読んでみた。確かに、ストーリーや登場人物の心裏のヒダヒダがくっきりして、ますます緊迫感が増した! 絶対お薦め的一冊(上下二冊だが)。
重要な舞台として北岳(南アルプス)や穂高(北アルプス)などが出て来るんだが、まだ実物を見たことはないものの、前回読んだ時よりは知っているのでその分さらに興味も深い。実際に行ったことがある場所だったらもっと面白いかもなー。


2003.8.10 五〇歳から再開した山歩き (本多勝一) 朝日新聞社
2003.8.13 99歳、モンブラン大滑降に挑む (三浦敬三) 草思社
期せずして、同じ時期に「年齢シリーズ」を読むことになった。片や50歳、片や99歳。オレにもまだまだ遊ぶ時間はあるなぁ〜と思うと、実に勇気づけられ、また楽しみにさせてくれる本である。
前者は、北海道にもゆかりの深い朝日新聞の人。山登りや山スキーをガンガンやりまくった紀行文である。「五〇歳・・・山歩き」と言っても趣味的な中高年登山ではなく、中央アルプスが故郷というだけあって本格的な山行である。
後者はもちろん説明不要の山スキーの草分け。さぞ悠々自適の滑走自慢かと思いきや、「技術を指導・・・」「弱い人をリードしなければ・・・」という記述が随所に見える。本当に「現役」の人なのだ。実に凄い。あやかりたい。

ところで、本多氏は行政不信や社会の未熟さを論じ、バッサバッサと切って捨てる。その義憤には同感の部分も数多いが、近くにいたらちょっと窮屈すぎる人かも・・・。
また「99歳・・・」の方は、肝心の99歳時のバレーブランシュ滑走成功の記述はまったく出てこない(内容は80〜95歳くらいまでの滑走記)。タイトルとしてインチキであろう。

2003.8.3 登山の運動生理学百科 (山本正嘉) 東京新聞出版局
「山歩きの際は普段の半分以下のペースで歩けばバテない」「水分は、できれば失った分だけ補充しなければならないが、その量は驚くほど多い」「山歩きに最良のトレーニングは山歩きである」「富士山でも、高山病による死者が年平均3人程度出る」といった山行の生理的メカニズムと対策(トレーニング法)などを、著者自身が被験者となって取った豊富なデータと平易な表現で説明してくれる、非常〜にためになる本。
2003.7.27 山歩きの自然学 (小泉武栄) 山と渓谷社
昔子供だった頃、夕張の実家の裏で、よく崖から飛び降りて遊んだ。・・・と言うとなんか荒唐無稽のようだが、岩がボロボロに崩れて堆積してほどよいクッションになっていたため、別にケガとかもしなかったのである。以来、何となく崖というのはそれが当たり前のようなイメージだったが、どうもそれは蛇紋岩の露頭というもので、結構ありふれてはいないものらしい。夕張岳が特異な高山植物が多いことで有名なのも、この地質に植生が影響を受けているからだというのである。
そんな話を始め、地質、植生、氷河時代以来の大自然の歴史から、高山植物の分布の不思議、妙な地形といった日本の山約50座の「謎」を解き明かす。なにぶんシロートゆえピンと来ない部分も少なくないのだが、グっと登山の興味を深めてくれる本である。

2003.7.21 登山不適格者 (岩崎元郎) NHK出版・生活人新書
なかなかショッキングなタイトルだが、山で見かける・山にいがちな、心得不足・準備不足・勉強不足な“不適格者”を挙げ、そういう人は山に来るな、とやっつける本(という体裁を取りながら、もちろんそこに気を付けて楽しく意義深い時間を山で大いに過ごそう、という啓蒙書である)。著者は、ヒマラヤ遠征隊長などの経験があり、NHKの入門番組で講師を勤めたこともある、ヤマ界では著名な人。
その内容は山への心構え、装備・食料や読図などの事前準備、自己を知り、他者への思いやりを知れ・・・というようなものだが、単なる入門書から一歩踏み込んだ警句−−傾聴すべき先人のバランス感覚がちりばめられている。ウチみたいに、ちょっと山歩きを囓り始めてイイ気になっている初心者はぜひ一読すべき本だろう。

2003.7.21 WOODCRAFT AND CAMPING (NESSMUK) DOVER社
「焚き火大全」で紹介されていたので、読んでみた・・・と言いつつ、実は同名の別の本と間違えて買ってしまった本(^^;)。
「woodcraft」とは森術・・・森林での行動・生活技術といった意味だそうで、1920年初刊の、アメリカキャンプ入門書の古典(The Great American Classic of Camping)である。Amazon.comで引くと筆頭に出てくるので、今も盛んに読まれているのだろう。
装備や遊び方はいかにも時代的だが(用意すべきはファインウールの外套だとか、油引きの帆布でテントを作るとか・・・)、その基本的な哲学といったものは現代にも通じ、傾聴の価値あり。「Go Light−−装備は軽くシンプルに」、「輝かしく愉しき焚き火のない森林ホテルは早晩滅びる」とかね・・・。
興味ある部分も多いので、一部分をちょっと訳してみた。
(専門家じゃないので、訳はいい加減です。参考にしたりしないでください(^^;))

第1章  →第4章

2003.7.8 登山の誕生 (小泉武栄) 中公新書
いつから人間は、またなぜ人間は、スポーツやレジャーとして山に登るようになったか?を歴史的・考証的に解き明かす本。
アルプスやエベレストのヒラリー(英国隊:NZ人)を引くまでもなく、本場といえばヨーロッパかな〜という気がするが、「登山」の歴史から言えば日本なんかの方がよほど早かったらしい(お山参詣や講、修験道など宗教的な対象として)。一方ヨーロッパでは「魔物の棲む場所」として恐れられこそすれ、近年までとても人間が入り込むところではなかったという。それがなぜスポーツへと発展したかと言えば、やはりパイオニア的な変人がいたせいなのであるな・・・。一方、世界の登山界を牽引して来た英国だが、やはり貴族の遊びで山岳会組織なども硬直していたゆえ、庶民が参加する他国に次第に遅れをとって行った・・・など、さまざまなエピソードが面白い。日本の山岳会小史も瞥見される。

なお、孫引きになるが、日本山岳会の二代目会長(確か)だった木暮理太郎氏の言葉がよかったので、ここにも引かせてもらおう。
私達が山に登るのは、つまり山が好きだから登るのである。登らないではいられないから登るのである。なぜ山に登るか、好きだから登る。答えは簡単である。しかしこれで十分ではあるまいか。/登山は志を大にするという。そうであろう。登山は剛健の気性を養うという。そうであろう。その他の曰く何、曰く何、皆そうであろう。ただ私などは好きだから山に登るというだけで満足する者である。

2003.7.4 銀嶺の人 (新田次郎) 朝日新聞社
最近小説(虚構)は滅多に読まなくなったのだが、例外が新田次郎サンであるな。
この小説は、山と渓谷誌7月号で「南アルプス」側のレポーターを務めた大久保由美子サンが、ふつうの?OL時代に読んで、山に向けて大いに触発されたというもの。大久保サンのつり込まれるような笑顔が何となくよかったので、つり込まれて読んでみることにした。
さて小説は、医師と、屈輪彫(鎌倉彫)の若き大家という2人のデキる女性が軸となって進む。冒頭は冬山で遭難しかける場面だが、2人が取り組むのはフリークライミングである。そして、“男女の愛”がフリークライミングにどう影響するか?がテーマになっているように思われる。時代のゆえか、女性像やその“愛”の進み方に大時代的なものを感じるが、モンブランやアイガーなどの壁登り場面も交えて一気に読ませる。結末はビミョーだが、新田サンの厳しい小説作法が現れている、というところであろうか。

2003.6.26 野性の呼び声-The Call of the Wild- (ジャック・ロンドン/辻井栄滋訳) 社会思想社・現代教養文庫
下の本からの「荒野つながり」で読んでみた。
セントバーナードとシェパードの間に生まれ、裕福な知識人の家で育った犬・バック。ある時、ユーコンのゴールドラッシュの中で犬ぞりの引き手として使われるために誘拐される。荒野で大変な目に遭ううち次第に自然からの呼び声に気づくようになり、最後の主人の死とともに森に還り、そしてオオカミたちのリーダーとして伝説となるまでの物語。
ちょうど100年前の小説(1903年7月公刊)だが、古さは感じない。もの言わぬ主人公だけに、いろいろな読み方ができる。自然に還らざるを得なかった痛ましさか、自然=自由の王国か。これをヨリ観念的にスマートに描くと、「かもめのジョナサン」になるのかも知れない。
そのテーマについて、訳者あとがきでは「文明批判の書」というが、それはウガチ過ぎのようにも思う。原始に戻るのがいい(つまり、文明へのアンチテーゼ)ということでもあるまい。野生、自然とは、文明などとは関係なくどうしようもなくそこにあるもの、ということだろう。逆に文明もまた、どうしようもなくそこにあるものなのだが。

2003.6.17 荒野へ-INTO THE WILD- (ジョン・クラカワー/佐宗鈴夫訳) 集英社
ろくに装備も食物も持たずにアラスカの荒野へ単身分け入り、4カ月後に恐らく食中毒がもとで餓死した青年を描いたノンフィクション。
何ともショッキングな事件(事故)で、ニュースを聞いた人の評価は批判的、著者の筆も心なしか陰影に満ちているが、直前に接した人の話や日記から推察された本人の姿は妙にハッピーに見える。
この本は、「なぜ人は荒野や冒険を目指すのか?」を考えさせてくれる。危険な山や崖を目指す人、食うや食わずで芸術を志す人、ケガをおしてまで記録にこだわる人などを、他人はバカだなあとか理解できないよ、やめろよと言いがちだが、もとよりそこには他人の典範や理屈などの入り込む隙はない。行動をただ批判したり、ましてその心の中を詮索したり干渉したりするのはお門違いなのである。
本人がそうしたければ、それでいいのだ。
で、彼は荒野にジャック・ロンドンなどを持ち込み、読んでいたという。こんど読んでみよう。

2003.6.13 焚き火大全 (吉長成恭・関根秀樹他)
和光大学で焚き火学講座とか持ってる人らが編集した、“焚き火”の意味・動機から科学的解析、文化への反映、焚き火への想いまでを網羅する、まさに「大全」。ちょっと呆れる。
前半の「焚きつけや焚き木の分析」などは非常に興味深かったけど、後半は「旨いモノを食った人が書いた旨いモノのエッセー」みたいで面白くもなんともない。やっぱ焚き火は「自分の体験」そのものでなくっちゃね。
もっとも、そう言っちゃうと、あらゆる「学」は所詮はカリカチュアでしかないということに行き当たる。「純化して法則を知り、方向性を示す」ためには意味ある営みなのかも知れないけど。体験・・・個々の蓄積の前では、学は意味をなさない。焚き火の形を分類してどうしようっての、って感じである。

2002.11.17 魔頂チョモランマ (今井通子) 中公文庫 :ひろし文庫
女性クライマーとして著名な同氏が隊長を務めた、冬季チョモランマ挑戦記。軽い凍傷騒ぎなどもありながら、書き方のせいなのか全体にのんびりした雰囲気が漂っているのは意外。
登山日誌みたいで読んで面白いとは言えないが、BC(ベースキャンプ)を張ってじっくり攻める「遠征隊方式」の登山作法がわかって興味深い。(近年は短時間で一気に頂上を落とす「アルパイン方式」が隆盛らしい)

2002.11.7 クライミング・フリー (リン・ヒル/小西敦子訳) 光文社 :ひろし文庫
女性でありながら(女性ゆえか?)フリークライミングの世界第一人者である著者の自省の記。多くの人が落ちて死ぬので、重苦しい雰囲気に満ちている。(yokoは途中でやめたらしい(笑))
この人は「危険を冒して冬山に登りたがる人の気は知れない」と言っているが、冬山登山もフリークライミングも一緒では?とワタシは言いたい。
(「ひろし文庫」とは、乱読家?な友人・ひろしから借りた本のこと)

2002.11.5 アウトドア道具考 (村上宣寛) 春秋社
バックパッキング用品を「自分で買って(特定のメーカーに寄らず)客観的に使用評価する」というテーマそのものは好ましいんだけど、パワーと頑固さにあかせて歩きまわる著者の超!特殊事例なので、あまり参考にならないって感じ。。
モンベルやゴアテに対する“敵意”は笑える。

2002.5.8 日曜日の遊び方 ダッチ・オーヴン (菊池仁志) 雄鶏社
ダッチオーブンを日本に広めた著者による定本。その歴史や、代表的なレシピが載っている。これ一冊あればダッチオーブン遊びはおっけー。

2002.3.1 決定版雪崩学 (北海道雪崩事故防止研究会・編) 山と渓谷社
雪崩の起こるメカニズムや、対処法(と言っても雪崩に“立ち向かう”わけではないが)を網羅した、まさに決定版。雪崩は夜は起こらないとか、木が立て込んでいる場所は大丈夫とか、埋もれても抜け出せるとか、けっこう誤解も多いのである。
雪崩の前兆である「ワッフ」という雪の動く音、私は聞き覚えがあるような気がする。

2002.2.3 強力伝・孤島 (新田次郎) 新潮文庫
八甲田山のついでに・・・というと語弊があるが、その昔マンガ化されたものを読んだことのある「強力伝」を読んでみたくなり、購入。
マンガはとにかく非常に力強く、そして何ともやりきれないような結末だった、ような記憶があった。そういう思い出的な記憶は、読み返してみると「な〜んだこんなもんだったか」と思ってしまうことも多いのだが、これは迫力ある筆致に印象を新たにした。50貫(約187kg)を背負って白馬岳に登る・・・なんてなぁ。これも怖い怖い小説である(とは言え実在のモデルがいる)。
ちなみに、今調べてみたらマンガは池上遼一の手になるものだったようだ。懐かしいな。

2002.1.25 八甲田山死の彷徨 (新田次郎) 新潮文庫
2002年1月23日は、八甲田山大量遭難事故からちょうど100年目。これは新田次郎が、もと気象庁予報官ならではの考察を交えながら遭難を小説化した実に怖い怖い本である。
その100年前、十分な知識も装備もないまま行軍訓練に入った歩兵第五連隊。昼は陽気の中重いソリをひっぱって、木綿の肌着に汗をかいたまま、記録的な大寒波の夜を迎えたらどうなるか。歩兵たちは外套すら持たず、胸までの新雪の中でソリは当然埋もれ、握り飯は凍り付き、小便がしたくとも指は凍傷で動かず・・・冬山の恐ろしさをイヤというほど感じさせてくれる。痛ましすぎ。

2001.3.1 最新雪崩学入門 (北海道雪崩事故防止研究会・編) 山と渓谷社
上にある「決定版雪崩学」の前身。

2001.1.22 雪山に入る101のコツ (中山建生) エイ出版
「ニセコで滑るなら少しは勉強しなきゃ」と思って手に取った本。冬山に入る心構えから装備、雪崩や気象の知識に至るまで、バックカントリーの基礎要件が網羅されている。登山/スキー/スノーボードでバックカントリーに出る人必読の書。

2000.10.9 マークスの山 (高村薫) 早川書房
高村薫の出世作。直木賞受賞作ともなった骨太の推理小説である。
ある山中での事故(事件?)を発端に、一見関係なさそうに見えるいくつもの事件が、やがてひとつの形をなし始める・・・山岳の陰影と人間の心のヒダヒダが絡み合って、なんとも言えない濃厚な緊迫感が漂う。文句なし面白い。
「文庫本になったら買おう」と長く長く思っていたが、ならないので友人に借りて読んだ。そういやまだ返してないぞ(^^;)。最近ようやく文庫になった(なぜか講談社文庫)が、どうやら“書き直し”と言えるくらい加筆されたらしい。それも読まねぱ。