イルカをめぐる冒険
約3年半ぶりに映画館で映画を観た。
シアターキノに行ったのも初めて。(例の炭やのハス向かいなのね)
シアターキノに行ったのも初めて。(例の炭やのハス向かいなのね)
作品は「THE COVE」。
鯨食ニッポンへの攻撃だとか、盗撮で作ったとか、抗議行動を恐れた映画館が上映自粛したとか、自粛とは何事と怒られたりとか、なにかと話題の絶えないあの映画。
朝9:45からということもあってか、あまり広くない場内は3分程度の入り。騒ぎや不穏の空気が漂っていたりはしない。普通である。
ホールの灯りが落ちて辺りが見えなくなり、近隣の人々も息をひそめ、日常と隔絶したある特殊な状況が現れる(映画って恵まれたメディアだなぁ)。個に分断された観客はそれぞれの角度から約1時間半、じっくりテーマと向かい合うことになる。
スクリーンを境にして、提供する側はやや妄信的な主張を伝えようとする。観る方はどうせ妄信だべやと思って、映画の穴を探ろうとする。
結論的には穴だらけの映画ではあるが、人間は結局穴だらけなんで、しょうがないんです。
冒頭に「これはショービジネスのためにイルカを捕獲することへの警鐘だ」というようなテロップが出る。(※1)
あれ?そうなの?と思っていると、ラストはIWCで「残酷な捕殺シーン」を委員に訴えるシーンであって、ただショッキングな映像を伝えることに主眼が替わっちゃっているように見える。
海が真っ赤に染まる様子はもちろん気分のいいものではないが、漁ならこんなもんだろう、とも思う。漁自体は違法なものではないし、「漁期は9~3月」と映画でも言っているように、ルール無視の気配もない。
「一頭残らず殺す」ことについては、大切な資源として使い切る大義名分とは裏腹に捕る方にも後ろめたさがあったようで、供養塔などが残っている。だが供養塔の映像は出ても、その意味については(理解/説明しようともせず)あっさりとスルーする。
イルカ肉に含まれる多量の水銀の話なども、だからイルカを食べない方がいいという根拠にはなっても、「地元の人さえまったく食べていない(で、よそへ売り渡して儲けている)」という飛躍した結論を保証するものではないと思う。(※2)
ちなみにこちらもラストで「作中で語られるppmがどの肉でも検出されるわけではない」というエクスキューズが出現するのだが…。
もちろん自然保護にまつわる問題提起であり、日本人の国際的立場を考えるキッカケということでも無意味な映画とまでは思わないが、全体を通して「知的なイルカを捕殺すること」を感情的に糾弾する映画以外には見えなかった。
一方、映画側の盗撮まがいの手法はともかく、地元の漁民や「警察」の行動も少し異様だ。バリケードを張ったりクルマで尾行したり罵声を浴びせたりして、撮影クルーを捕殺の現場へ近づけまいとする。
外国人が突然町へやって来て、わけのわからないことを言うのに過剰に反応しているだけなのか(※3)、それとも本当に隠したい「悪事」があるのだろうか。
殺戮(※4)ではあっても、それが守りたい習慣・文化であるなら、心臓の弱い人は見ない方がいいかも、でもどうしてもというならどうぞと言ってどっしり構えていればいい。
ショービジネス(欧米の水族館)に生きたままイルカを売れば1頭150万ドルになるという話には、喰うため以外にも捕ってるんだと驚いたし、学校給食にクジラ類をというなんだか利権くさい動きもあるようで(前出の「水銀」も、実はこちらの文脈の話である)、背後ではなにかが動いているのかも知れない。
そもそもなぜ日本は(IWCでクジラ類が水産資源を食い荒らしているという強引なデータを持ち出したり、あまり裕福でない漁業国をカネで抱き込んでまで)捕鯨を続けたいのか。
映画では「帝国主義の残滓だ」と言っているが、この説明はのどかすぎて笑いも出てこない。
前にクジラの本を読んだ時にも思ったように、なんらかの「事情」が絡んでいるには違いないのである。
いろいろ考えていると、映画の言っていること、政府や報道が言っていること、地元の人が(外向きに)言っていること、どれが正しいのかはよくわからなくなってくる。
ある意味ではどれも正しく、ある意味ではどれにもウラがあるんだろう。
真実は行って見なければわからない。
※1
この日本語のテロップは誰が入れたんだろう? 配給会社が批判を恐れて入れているという説があるようだけど、仮にそうだとすると、エクスキューズの域を超えて映画のテーマを不当に歪めていると思う。
※2
エントリに関連して調べものをしていたら、興味深い記事を見つけた。
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101000893.html
現地住民の毛髪の水銀濃度が日本人平均の10倍近くに上る、という記事。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20070904a3.html
日本のメディアは水銀汚染のイルカ肉を黙殺している、という記事。映画ではなぜか顔ボカシで出てくる町議さん?が外国人記者クラブで語った話をもとにしている。
現地スーパーでg170円くらいで売られている、ともいう。
※3
そもそも和歌山の田舎町に複数の西洋人があれだけの撮影機材を(擬装物!も含めて)持ち込んでコソコソできるのがヘンだ。
住民もよそ者にほじくられるのが嫌なだけで、言うほど神経質ではなく、なにかをひた隠しにしたいわけでもないのではないか。つまりコミュニケーションがヘタなだけかも知れない。
※4
自己認知能力があるくらいに知的ならダメで、そうでないならおっけーなのか。
残酷な殺し方だったらダメで、即死ならおっけーなのか。
で、その線引きはどこでできるのか。
妄信の人には、そうした理屈の偏向がどうしてもある。
人間は結局穴だらけなんだけど、強弁するとそこが目立って来るんですな。
▲続きを隠す
鯨食ニッポンへの攻撃だとか、盗撮で作ったとか、抗議行動を恐れた映画館が上映自粛したとか、自粛とは何事と怒られたりとか、なにかと話題の絶えないあの映画。
朝9:45からということもあってか、あまり広くない場内は3分程度の入り。騒ぎや不穏の空気が漂っていたりはしない。普通である。
ホールの灯りが落ちて辺りが見えなくなり、近隣の人々も息をひそめ、日常と隔絶したある特殊な状況が現れる(映画って恵まれたメディアだなぁ)。個に分断された観客はそれぞれの角度から約1時間半、じっくりテーマと向かい合うことになる。
スクリーンを境にして、提供する側はやや妄信的な主張を伝えようとする。観る方はどうせ妄信だべやと思って、映画の穴を探ろうとする。
結論的には穴だらけの映画ではあるが、人間は結局穴だらけなんで、しょうがないんです。
冒頭に「これはショービジネスのためにイルカを捕獲することへの警鐘だ」というようなテロップが出る。(※1)
あれ?そうなの?と思っていると、ラストはIWCで「残酷な捕殺シーン」を委員に訴えるシーンであって、ただショッキングな映像を伝えることに主眼が替わっちゃっているように見える。
海が真っ赤に染まる様子はもちろん気分のいいものではないが、漁ならこんなもんだろう、とも思う。漁自体は違法なものではないし、「漁期は9~3月」と映画でも言っているように、ルール無視の気配もない。
「一頭残らず殺す」ことについては、大切な資源として使い切る大義名分とは裏腹に捕る方にも後ろめたさがあったようで、供養塔などが残っている。だが供養塔の映像は出ても、その意味については(理解/説明しようともせず)あっさりとスルーする。
イルカ肉に含まれる多量の水銀の話なども、だからイルカを食べない方がいいという根拠にはなっても、「地元の人さえまったく食べていない(で、よそへ売り渡して儲けている)」という飛躍した結論を保証するものではないと思う。(※2)
ちなみにこちらもラストで「作中で語られるppmがどの肉でも検出されるわけではない」というエクスキューズが出現するのだが…。
もちろん自然保護にまつわる問題提起であり、日本人の国際的立場を考えるキッカケということでも無意味な映画とまでは思わないが、全体を通して「知的なイルカを捕殺すること」を感情的に糾弾する映画以外には見えなかった。
一方、映画側の盗撮まがいの手法はともかく、地元の漁民や「警察」の行動も少し異様だ。バリケードを張ったりクルマで尾行したり罵声を浴びせたりして、撮影クルーを捕殺の現場へ近づけまいとする。
外国人が突然町へやって来て、わけのわからないことを言うのに過剰に反応しているだけなのか(※3)、それとも本当に隠したい「悪事」があるのだろうか。
殺戮(※4)ではあっても、それが守りたい習慣・文化であるなら、心臓の弱い人は見ない方がいいかも、でもどうしてもというならどうぞと言ってどっしり構えていればいい。
ショービジネス(欧米の水族館)に生きたままイルカを売れば1頭150万ドルになるという話には、喰うため以外にも捕ってるんだと驚いたし、学校給食にクジラ類をというなんだか利権くさい動きもあるようで(前出の「水銀」も、実はこちらの文脈の話である)、背後ではなにかが動いているのかも知れない。
そもそもなぜ日本は(IWCでクジラ類が水産資源を食い荒らしているという強引なデータを持ち出したり、あまり裕福でない漁業国をカネで抱き込んでまで)捕鯨を続けたいのか。
映画では「帝国主義の残滓だ」と言っているが、この説明はのどかすぎて笑いも出てこない。
前にクジラの本を読んだ時にも思ったように、なんらかの「事情」が絡んでいるには違いないのである。
いろいろ考えていると、映画の言っていること、政府や報道が言っていること、地元の人が(外向きに)言っていること、どれが正しいのかはよくわからなくなってくる。
ある意味ではどれも正しく、ある意味ではどれにもウラがあるんだろう。
真実は行って見なければわからない。
※1
この日本語のテロップは誰が入れたんだろう? 配給会社が批判を恐れて入れているという説があるようだけど、仮にそうだとすると、エクスキューズの域を超えて映画のテーマを不当に歪めていると思う。
※2
エントリに関連して調べものをしていたら、興味深い記事を見つけた。
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010012101000893.html
現地住民の毛髪の水銀濃度が日本人平均の10倍近くに上る、という記事。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nn20070904a3.html
日本のメディアは水銀汚染のイルカ肉を黙殺している、という記事。映画ではなぜか顔ボカシで出てくる町議さん?が外国人記者クラブで語った話をもとにしている。
現地スーパーでg170円くらいで売られている、ともいう。
※3
そもそも和歌山の田舎町に複数の西洋人があれだけの撮影機材を(擬装物!も含めて)持ち込んでコソコソできるのがヘンだ。
住民もよそ者にほじくられるのが嫌なだけで、言うほど神経質ではなく、なにかをひた隠しにしたいわけでもないのではないか。つまりコミュニケーションがヘタなだけかも知れない。
※4
自己認知能力があるくらいに知的ならダメで、そうでないならおっけーなのか。
残酷な殺し方だったらダメで、即死ならおっけーなのか。
で、その線引きはどこでできるのか。
妄信の人には、そうした理屈の偏向がどうしてもある。
人間は結局穴だらけなんだけど、強弁するとそこが目立って来るんですな。
▲続きを隠す