がんばれ道新
でも、本質的なところは変わっていない。その代表が、本紙に掲載された記事が、すべてWebに載っているわけではない、という点だ。
「そういえばこの話、新聞にあったなー。あれどんな内容だっけ」と思ってWebサイトに行って検索をかけても、既に掲載終了になっていたり、そもそも掲載されていなかったりする。
しかたがないので、いわゆる「データベースサービス」に加入しようかとも思うが、これが高い。
個人・法人の場合、月525円で本文30本まで。写真や図表も合わせて…と思うと「切り抜き」は1本105円する。法外なコストである。
固定制料金なら月31,500円にハネ上がり、もはや個人が払う額ではない。(しかも切り抜き105円は据え置き)
こんなものは「サービス」でもなんでもない。
例えば図書館まで足を運んで縮刷版のコピーをとると思えば安い、ということかも知れないが、それは20年前の論法だろう。
「ネットで稼ぐ」の意味が変わって来ている。大昔のオンラインデータベースサービスの時代は、情報は高価なものだった。接続/検索/取得に、個人では手が出ないほどの「課金」は当たり前だった。
ひるがえって今はどうか。インターネットのコストは限りなくゼロに近づき、ニュースや論評なども必要とあればタダで手に入る。なにか知りたい時に、道新でなければならない必然性は弱まっている(そもそも、道新の情報の質は必ずしも高くない)。
情報のあり方そのものが変化しているのである。
そこで(競合優位化のために)重要になるのは、いかなる「サービス意識」を持つかであって、ネット上の情報を絞り、新聞にいったん掲載された情報に二重課金することではあるまい。
「リアル」な媒体は、「ネット」とコラボする関係にあるべきで、別の稼ぎ口と考えるのはいかにも時代錯誤である。
情報活用のしかたや発想が古いのではないのか北海道新聞!
と思っていたら、デジクリの神田氏がいいことを言っていた。
新聞も同様だ。産経新聞の「IZA< http://www.iza.ne.jp/ >」や佐賀新聞の「ひびの< http://www.saga-s.co.jp/ >」などが先進的に「情報共有」を意識したつくりになってきているが、大半の新聞は、人々がせっかくブログにとりあげ、丁寧にリンクを貼っているにもかかわらず、その元記事となる情報を完全に削除してしまう。削除するくらいなら、ネットに上げるなと言いたい!
それがデータベースで情報を売るために記事を削除しているのだとすると、とんでもない話だ。データベースは有料で新聞を購読している人には、無料にすべきだろう。朝刊に本日のみ有効のパスワードを印刷しておけばいいことだと思う。データベースの利用料を購読者にも求めるのもおかしな話だ。運用費用は、購読していない人たちから徴収すべきだ。購読している人がいるからこそ、広告も成り立つビジネスモデルなのである。
■KNNエンパワーメントコラム 新聞はこのままではMOTTAINAI/神田敏晶 : 日刊デジタルクリエイターズ
禿同である。(「パスワード」システムだと、本日のパスワードを毎日Webにアップするヤカラも出てくるかも知れないが)
簡単に言えば、Webサイトの目的は「課金」ではなく「囲い込み」にした方がいい。すなわち、北海道民への情報サービスである。地方発信の地域媒体としての生存価値はそこにある。
いわゆる「四媒体」(TV、ラジオ、新聞、雑誌)の中で最も命脈を保っているのを強いて挙げるならば新聞だと思うが、この旧弊な考え方を160度くらい改めなければ、社会から乖離して行くばかりだろう。
インタフェースだけ刷新しても意味がないのだ。