2007/04/20 金

VTRでも不自由しない

池田信夫 blogより。

DVDレコーダーが思ったより普及していないのは、デジタル放送の例のコピーワンス機能のせいばかりでなく、「VTRでも不自由しない」せいだ、という指摘が面白い。

大向こうは「デジタル画質」なんて期待していないし、TVなんて見えりゃいいんだよ、と。

これって、パソコンやソフトウェアの進化にも重なるよねぇ。

例えば「Windows Vista」の「最大のセールスポイント」は「GUI」だった。

そのGUI(Aero)を快適に使うためには、Vistaの中でも上位ヴァージョン(Premium以上だっけか)を使わなくてはならず、そのためにはやっぱし、いいマシンに買い換えたりしなくちゃならない。

Windowsパソコンに、XPより上の機能はもはや要らない。だから「最大のセールスポイント」も「GUI」程度なんだろう。

所有体験もパソコンの目的だ、と言えばそれもあるかも知れないが(へへっ、Macじゃあるまいし)、そのためにパソコン本体の能力を上げなければならない、ってのは本末転倒のそしりを免れまい。

ソフトウェアも含めて、ユーザーが求めもしない「バージョンアップのための機能増強」が近ごろ多いんでないのかい?

2007/04/20 金

日本語に主語はいらない

日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す
「日本語に主語、入らない」じゃないですょ、もちろん。


かねて、「イギリス語の“I”一種類に対して、日本語には“僕”“わたし”“オレ”“それがし”など無数の言い方がある。日本語って、なんて細やかなんだべ!!」と思っていたんだけど、どうもこれ、そうカンタンにはいかない問題だったらしい。

そもそも“I”と“わたし”では、文法的な機能がまるで違うものである。
(どう違うかは、面白いから本書をお読みください(^^;))

日本語文法に「主語」という概念を導入する必要はまったくないし、イギリス語の法則から日本語を考えても意味はない。それは、明治維新以来のイギリス語偏重主義の弊害であり、現在の学校文法は間違いである。

と著者はいう。

明治の頃、初代文部大臣の森有礼という人は「日本語やめてイギリス語を国語にしちまえ」という暴論を吐いた。前島密は「かな漢字をやめてローマ字を使うようにしちまえ」と言ったそうだ。
(言葉を捨て去ることは、そのまま文化、ひいては民族アイデンティティーの放棄である)
で、大槻文彦という人がその後の「日本語文法100年の誤謬」を決定づけた。…

また明治かよ、ですな。

そんな中で、イギリス語やフランス語の話者に日本語を教えて来た著者(モントリオール大学の言語学教授)のアンチテーゼには非常に説得力がある。

後半の自動詞と他動詞の問題あたりになると、かなり難しくて一読では噛みきれなかったんだけど、「は」「が」論争の不毛さも含めて、いかに日本語文法は誤った路地裏にさまよい込んでいた(いる)のか、ということがよくわかる本である。

あとがきにも、日本語教育に携わる方はぜひご一読を、と書いてあるが、日本語のためにオレからもぜひ、とお薦めしたい内容である。

2007/04/19 木

テーマ変更

レイアウトを若干とテーマ(カラー)を変えました。
考え方まで変えるかは考え中(^^;)。

2007/04/18 水

鶏はむの館・その1

インターネットでちょっと変わったレシピを見つけたので、過日作ってみました。
題して「鳥はむ」。

何が「変わった」なのかというと、どうも2ちゃんの料理板で意見交換されて作られたレシピらしいこと。

ふだん余り使わない鶏ムネ肉にはちみつを塗り、塩コショーでしっかり味をつけます。
ZIPLOCKに入れて空気を抜き、2日間、冷蔵庫で寝かせます。

2日後、ZIPLOCKから取り出し、薄い塩水に漬け、約1時間塩抜きします。

参照レシピでは「お湯につけて冷ます」とありますが、晩酌の時間が迫っていたので(笑)、手っ取り早くオーブンで焼くことにしました。
比較的低温(180℃)で約40分。焼き上がったら10分ほど寝かします。

さて、焼き上がり。
ワサビでいただきました。

まずまずです。
でもムネ肉はやっぱりパサつきますねぇ。焼き時間、もっと短くてもいいのかな。
さらに一日程度置く(熟す)と、より「ハム化」が促進されます。

もう一度、今度はレシピ通りの仕上げ方でやってみようと思います。

2007/04/17 火

がんばれ道新

北海道新聞(道新)Webサイトの見てくれ(ユーザインタフェース)が4月から変わって、多少は今風になった。
でも、本質的なところは変わっていない。その代表が、本紙に掲載された記事が、すべてWebに載っているわけではない、という点だ。

「そういえばこの話、新聞にあったなー。あれどんな内容だっけ」と思ってWebサイトに行って検索をかけても、既に掲載終了になっていたり、そもそも掲載されていなかったりする。

しかたがないので、いわゆる「データベースサービス」に加入しようかとも思うが、これが高い。
個人・法人の場合、月525円で本文30本まで。写真や図表も合わせて…と思うと「切り抜き」は1本105円する。法外なコストである。
固定制料金なら月31,500円にハネ上がり、もはや個人が払う額ではない。(しかも切り抜き105円は据え置き)
こんなものは「サービス」でもなんでもない。

例えば図書館まで足を運んで縮刷版のコピーをとると思えば安い、ということかも知れないが、それは20年前の論法だろう。

「ネットで稼ぐ」の意味が変わって来ている。大昔のオンラインデータベースサービスの時代は、情報は高価なものだった。接続/検索/取得に、個人では手が出ないほどの「課金」は当たり前だった。

ひるがえって今はどうか。インターネットのコストは限りなくゼロに近づき、ニュースや論評なども必要とあればタダで手に入る。なにか知りたい時に、道新でなければならない必然性は弱まっている(そもそも、道新の情報の質は必ずしも高くない)。
情報のあり方そのものが変化しているのである。

そこで(競合優位化のために)重要になるのは、いかなる「サービス意識」を持つかであって、ネット上の情報を絞り、新聞にいったん掲載された情報に二重課金することではあるまい。
「リアル」な媒体は、「ネット」とコラボする関係にあるべきで、別の稼ぎ口と考えるのはいかにも時代錯誤である。

情報活用のしかたや発想が古いのではないのか北海道新聞!
と思っていたら、デジクリの神田氏がいいことを言っていた。

新聞も同様だ。産経新聞の「IZA< http://www.iza.ne.jp/ >」や佐賀新聞の「ひびの< http://www.saga-s.co.jp/ >」などが先進的に「情報共有」を意識したつくりになってきているが、大半の新聞は、人々がせっかくブログにとりあげ、丁寧にリンクを貼っているにもかかわらず、その元記事となる情報を完全に削除してしまう。削除するくらいなら、ネットに上げるなと言いたい!

それがデータベースで情報を売るために記事を削除しているのだとすると、とんでもない話だ。データベースは有料で新聞を購読している人には、無料にすべきだろう。朝刊に本日のみ有効のパスワードを印刷しておけばいいことだと思う。データベースの利用料を購読者にも求めるのもおかしな話だ。運用費用は、購読していない人たちから徴収すべきだ。購読している人がいるからこそ、広告も成り立つビジネスモデルなのである。

■KNNエンパワーメントコラム 新聞はこのままではMOTTAINAI/神田敏晶 : 日刊デジタルクリエイターズ

禿同である。
(「パスワード」システムだと、本日のパスワードを毎日Webにアップするヤカラも出てくるかも知れないが)

簡単に言えば、Webサイトの目的は「課金」ではなく「囲い込み」にした方がいい。すなわち、北海道民への情報サービスである。地方発信の地域媒体としての生存価値はそこにある。

いわゆる「四媒体」(TV、ラジオ、新聞、雑誌)の中で最も命脈を保っているのを強いて挙げるならば新聞だと思うが、この旧弊な考え方を160度くらい改めなければ、社会から乖離して行くばかりだろう。
インタフェースだけ刷新しても意味がないのだ。

2007/04/16 月

言われる前に

…書いておくけど、ええ、今日はヒマです(^^;)。
三カ月に一回というエアポケット週間。
(昼過ぎまでは仕事してたんだけどねぇ)

2007/04/16 月

夕張の選挙

統一地方選の後半を迎え、夕張の市長・市議会議員候補が告示された。
周囲がどう考えているかではなく、夕張の市民がどう考えているかを知るという意味で、たいへん興味がある。

個人的な興味の延長ではあるが、なんと!高校時代の同級生が市議選に立った。
Dくんである。

正直言って、在学中は特に話をした記憶もないのだが(別クラスだったので)、先日親しく話した限りでは、いい感じの正義漢だった。

彼はいう、「今の夕張にした人たちがほとんどを占める市会議員の選挙にがまんできなかったこと、お年寄りを代表する市民の人たちの憤懣やるかたない気持ちを、なんとか市政に届けたい」ので立候補を決めた、と。

ごく当たり前の感性だし、立派な志だと思う。
当たり前をきちんとやり通すことが今の世の中で最も尊いのである。

応援してるぞ!!
(言うだけじゃなくて具体的に応援したいが、選挙活動というものをしたことがなくて、どうするのがよいか分からない。せめてこうして微文で)

*
余談だが、「あれっ?」と思って調べてみたら、「公示」は衆参通常選挙で使われる言葉で、他の選挙では「告示」というらしい。(参照
知らんかった…orz。

2007/04/16 月

シマゲジ風雲録

シマゲジ風雲録―放送と権力・40年
というわけで、

シマゲジ風雲録―放送と権力・40年」(島桂次)文藝春秋

を読んだ。
往年のNHK会長の自伝である。

Wikipediaによると、島氏が会長を辞任したのは1991年というから、私も(とっくに(^^;))社会人になっていたが、当時の様子はオボロにしか覚えていない。独断専横とか、女性(同伴)問題で責任を追及された、かなりコワモテで腹黒いおじさん、というイメージしかなかったような気がする。

読んでみると、その強引さはヤハリ鼻につきつつ、かなり痛快な本でもあった。(もちろん当事者が一方的に書いている本なわけだから、事実関係の理解には一定の差し引きが必要だろうけど)

なにより、氏が早くからマルチメディアやビデオジャーナリズム、地球の時差を利用したGNN(Global News Network)の必要性などに着目していたその柔軟性と先見性には驚かされる。

NHKの構造改革に積極的に取り組んだ点でも、歴代会長の中では異色のようだ。
中でもNHKエンタープライズを始めとする関連団体の設立はこの人の発案だという。(NHKのリソース=番組を、日本/世界のリソースとして活用する、またNHKの自立、(郵政主導の)巨大化への歯止めなどの意図があったという…逆に利益の囲い込みのニオイも感じるわけだが)
波の整理(チャンネルを減らせ、と言ったらしい)もつとに言い出していた。
NHKの「親方日の丸」体質や利権の跋扈の様子なども、かなり赤裸々に描き、歯がみしている。

NHKの中では突出して開明的であり、超改革派なのであった。

政治部記者として(というか結局性格と能力がモノを言ったと思うが)養った政界との極太のパイプを軸にした仕事っぷりも痛快そのものである。

そのキャラクターゆえに敵も多かったわけだろうけど、その才能は惜しまれるべきだろう。

2007/04/16 月

憲法是か非か

私は9条あったればこそ、日本というひ弱な国がこのような苛酷な国際環境の中で、かくも繁栄しつつ生き延びることができた根本条件だったと思っている。
9条がなければ、日本はとっくにアメリカの属国になっていたろう。あるいは、かつてのソ連ないし、かつての中国ないし、北朝鮮といった日本を敵視してきた国家の侵略を受けていただろう。
9条を捨てることは、国家の繁栄を捨てることである。国家の誇りを捨てることである。9条を堅持するかぎり、日本は国際社会の中で、独自のリスペクトを集め、独自の歩みをつづけることができる。
9条を捨てて「普通の国」になろうなどという主張をする人は、ただのオロカモノである。

改憲狙う国民投票法案の愚 憲法9条のリアルな価値問え - ビジネススタイル - nikkei BPnet

改憲について立花隆氏が胸のすくことを言っている。

改憲派の論拠のひとつに、特に「9条」が「アメリカから押しつけられたもの」という点があるが、これは実は議論の一方の見かたに過ぎない(幣原喜重郎(つまり日本側)が発案したという説もある※)。それに、自発的なものか押しつけかは結局どちらでもよい、現行憲法の価値をこそ問え、という内容である。

※ちょうど「落日燃ゆ」(城山三郎)という本を読み終えたところなんだけど、城山氏は「幣原発案説」に立っている。(心からの平和への期待である)

私は、この国際テロ時代に当時の枠組みのままでよいのかなぁと思う一方、専守防衛・戦争放棄の理念は絶対に捨ててはいけないと思っている。
仮に「戦争」と「防衛」とを峻別できるならいいとも思うが(スイスみたいに)、それはムリだし、今の政府与党には毛頭ない考え方だろう。

ところで「落日燃ゆ」ではまた、「統帥権」を分離し、軍部の暴走を許した大日本帝国憲法を「長州が作った憲法」として批判している。

長州と言えば、
「私も伝統ある長州出身の政治家として、命がけで頑張りたい」(出馬時の地元での決意表明)
「戊辰戦争では迷惑かけた」(会津での応援演説)
「同じ長州につながるものとして、血が騒ぐ」(映画「長州ファイブ」を観て)
などとアナクロニスチックなことを言っている、あの現職総理大臣の系譜である。

いつの間にか「省」に格上げされていたり、重要な法案も数をもって押し通そうとしたり、愛国心を法律で謳ったりすることは、実は「美しい長州」のためではないのか。

少なくともそういう人は日本国憲法について語って欲しくない。

2007/04/13 金

AACGain

本日ふと(というかこちらのコメントを拝読して)、AACGainのことを思い出した。

iPod(もしくはiTunes)で音楽を聴くときに、あらかじめ、曲によって音量の変化を気にしなくていいようにできるというあのソフトである。

配布しているサイトを久しぶりに覗いてみると、当時1.3だったヴァージョンがいつの間にやら1.5に上がっているではないか。

さっそくダウンロードしてみた。(インストールはまだ)

取りあえず添付のreadme.txtを見ると、面白いことが書いてある。

AACGainを使う前に、あなたのミュージック・ファイルをバックアップすること!実験ソフトであり、過去にファイルを破損したことがあるが責任は取らんぞ!という注意事項はそのままだが、モンダイの記述はその下である。

「iTunesミュージックストアで購入した被DRMファイルはサポートしていません。貴殿はそれらをCD-ROMに焼き、再びiTunesにインポートすることによって .m4a フォーマットに変換するか、アンダーグラウンドな方法のひとつを使ってロスレスに .m4a に変換するよろし」

以前のバージョンでは確か「iTunesミュージックストアで購入したファイルは扱えません」と書いてあったが、進化したようだ(笑)。

へへぇ~、ですな。
アングラツール、発見した方はぜひ教えてください。

(2007/4/16追記)

某筋から情報をいただきました(笑)。
アングラといっても、フツーに公開されていますが。

なんでも、被DRMファイルが再生される際のQuickTimeの振る舞いを掠め取ってうんちゃら…というソフトだそうな。
へへへぇ~~。
感心する、呆れるを通り越して、背筋が冷たくなりますな、ソフトウェアの世界。
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