2006/06/29 木

遠き山…の続き…

静内から電話が来まして、修理に出したクルマを土曜には受け取れることが明らかになりました。
気になる費用は、定期点検もついでにお願いしたのを含めて、約56,000円也。orz (多少の値引きあり)
しかもこの金額には、レッカー代金は含まれていないという。orz

さらにさらに、修理を頼むときに「回転を上げるとクラッチが滑るような感じがする」件も併せてみてもらったのですが(頼んだ時には、例のダイナモの障害と関係があるのでは?と踏んでいたのですが)、ダイナモ修理後の今もその症状はあるという。近々、オーバーホールの要ありとの由。
おまけにおまけに、ブレーキパッドもだいぶ減っているという…。

全部なおすまでに、いったいいくらかかるんじゃい…。OTZ

2006/06/29 木

Serene Bachのプラグイン

このブログを作っているツール「Serene Bach」にもコミュニティがありまして、先日そこをつらつら眺めていたら、思ったよりたくさんプラグインがリリースされていることに(今さら)気がつきました。

いつぞや導入したスパムフィルタもそのひとつなんですが、今回新たに以下の2つを導入してみました。

  • CompactArchives
    このサイトでは左下にある、過去ログのリストを年別に束ねるプラグインです。
    以前は2000年10月から2006年6月まで、ずらーーっと長いリストになっていたんですが、お陰ですっきりしました。

  • YetAnotherAccessLog
    これは表に出ない機能ですが、これまで見れなかった「検索語」がその場で一覧できるプラグインです。誰かが検索エンジンを使ってこのサイトに来た時に、なんという単語を打ち込んだかがわかる、ってやつですね。(tDiaryなどにはあったよね。あれ羨ましかったんだー)

    (余談)
    で、早速見てみて驚いたのは、「桜井忠」という検索語で来ている人がいること。桜井さんといえば、例の、元苫小牧市長じゃありませんか。
    そんな話題に触れたことがあったっけ?と思ってサイト内検索をかけてみたところ、ははーん、ありました
    大合併論に後込みするヘタレとまで言っちゃってる(^^;)のはともかく、あまり持ち上げた記事じゃなくてよかったなぁ~。

ともあれ作者のふうこさん、ありがとうございました。

(2006/6/30 12:19追記)

  • CategoryNavi
    もう一つ追加しました。
    これは、エントリ個別表示の時、上部に出るナビゲーションボタンを同じカテゴリーの前/後にリンクできるようにするものです。
    カテゴリー指向のブログにはいい機能ですね。


(2007/5/9追記)

続く

2006/06/28 水

オレだけ?

mixi
クリックで拡大
mixiのインタフェースが嫌なことになってます。
なんか、画像の順番がズレちゃってるって感じなんですけど…。


(2006/6/29 11:02追記)

どうやらOpera(使用中のブラウザ:近ごろ9.00にアップデートしたばかり)の障害のようです。

(2006/6/29 16:53追記)

mixiのOperaコミュ情報によりますと、キャッシュ周りの取扱いに不具合(か仕様(笑))があるらしいですね。
また、9.00じゃなくて8.xxでも同様の問題は発生していたとのこと。

コミュのメンバーさんに教えてもらった通り、メモリキャッシュの設定を「自動」から「60MB」限定に変更してみたら、不具合はなくなりました。

はぁ、取りあえずすっきり。

(2006/9/26追記)

上記の「障害」が繰り返し現れるのに業を煮やし、Firefoxに乗り換えました(笑)。
慣れればこっちの方が快適かもな~。

2006/06/28 水

わかる仏教史

近ごろ晴登雨読、ってなブログになってますが…。
あ、食う話もあるか。
いや、いいんじゃないでしょうか!

わかる仏教史
*
さて、友人のブログ経由シリーズです。
わかる仏教史 (宮元啓一) 春秋社。

お釈迦様から始まる仏教3千年の歴史を、易しい言葉で1冊にまとめた本です。
めくるめく東洋思想の繚乱も、こうして一つの軸でつまんでいくと、ちゃんと1本の樹のように見えるんですねぇ。

ところで、私はさらにこの本を3行にまとめちゃいます(笑)。

  • お釈迦様入滅後、100年を経ずして金儲けや権力闘争に走る仏弟子たち。
  • その後、お釈迦様は言及しなかった「あの世」を始め、壮大な宇宙観(妄想)が構築された。
  • 中国を経て日本に伝わり、国の都合や庶民感覚にねじ曲げられつつ葬式仏教となり果てる。

これらが、3千年を通してくりひろげられた、と。ああ無常。
しかしこうして見ると、仏教も相当に人間くさい営みなんですよ。
勉強になりました。

*
「あの世」についてはもう一言。
お釈迦様…ゴータマ・ブッダは、死後の世界のこと等、不可知なことは水掛け論になるだけだからとして、問われても答えなかったそうな。
阿弥陀如来とか弥勒菩薩とか、56億7千万年後の救済とか途方もないことを考えたのは、みな後世の仏弟子たち。ということでした。

2006/06/26 月

遠き山…

ようやく土日とも晴れの週末となったので、念願の「遠出」としゃれ込みました。目的地は、高山植物の宝庫アポイ岳です。

昼過ぎに札幌を出発。運転していて日焼けが心配になるほどの陽気の中、下道をトコトコ(と言いつつそこは北海道ですから快調に)走ります。
海岸沿いの道だけに、道中目についた一夜干しのイカやらとんび(イカの口)やら、こんぶやらツブやらを買い込みながら、ほぼ予定通り16:30には目的地・様似に到着しました。

さてしかし、楽しみの蔭には思わぬ悲劇が潜んでいたのでした…。
(以下長文)
続きを読む>>

2006/06/21 水

リサイクルしてはいけない

環境にやさしい生活をするために「リサイクル」してはいけない
リサイクルしてはいけない (武田邦彦) 青春出版社

ペットボトルをリサイクルすると、単純に焼却した場合の3倍以上の資源・エネルギーを消費するという事実。
「紙を使うと森林が破壊される」は嘘であるという事実。
自然が46億年かけて貯めてきた資源を、人間の肥大した文明社会はわずか100年で使い切ろうとしているという事実。

こうした事実を突きつけられて、愕然としない人はいないでしょう。
われわれの「常識」と随分かけ離れているからです。

そりゃ、「ゴミの分別といったって、けっこうみんないい加減だよなぁ」とか「どれほど、再生資源になるのかなぁ」とかいうことは何となく肌合いとしては感じていても、行政やメーカーやCMがこぞって分別やリサイクルを奨励しているのですから、よかれと思ってせっせと分別廃棄をしては環境に優しいことをした、と満足もするでしょう、普通。
でもそうした努力が、収集(移動)・洗浄・選別・再成形の過程で、ガソリンや電力、人間の活動という別の形でエネルギーの浪費を生み出しているとしたら、われわれのやっていることは一体なんなのでしょうか。

*
石鹸と合成洗剤の比較など、「?」な議論もあったのですが、中でもうひとつ禿同だったのは、「あなたは真夏に暖房をつけますか?」という問いです。
誰しも「まさか。何を言ってるんですか」と答えるでしょう。でもエアコン(クーラー)は、「外を暖房する機械」である、ということです。自分だけが快適になって、環境のことは顧みない。中央だけがよくて地方を顧みない。先進国だけがよくて後進国を顧みない…人間とは、そうした生き物なんですね、結局。

2006/06/18 日

富士から槍へ(な気分)

そろそろ遠出を…と思うんだけど、土曜に天気が崩れる傾向が続いているので、今週も日帰りです。風不死岳(写真右奥、1,102.5m)に行って来ました。せっかくなので、前回登った時にいたく感動した樽前山の溶岩ドームもまた間近に見ようということで、樽前山(東山)からのハシゴでした。

例によって7合目までクルマで入ります。ヒュッテ駐車場はかなり混んでいて、そうとう手前に路駐。9:10、登行開始です。

樽前山は、いまだ噴煙も上がっている活火山。木もまだほとんど生えていず、足もとは軽石と灰かぐらの山です。溶岩ドームの姿はまさに偉容ですが、ちょっと歩きにくいことは富士山と似ています。

東山から少し下り、写真左手前の932m峰をまず目指します。ここを越えて、風不死方面へ合流しようという魂胆。

いやところがです。932m峰から北へ下りる(地図の矢印の)道がない。どうしたことかと思っていると、ピークで休憩していた人が「今はないみたいですよ」と教えてくれました。なんと、またもやですかー。そんなことならこのピークは踏まなくてよかったのに…。
しかたないので、登って来た道をまた下ります(GPSの赤いラインはちょっとズレていますが同じ道)。ま、眺めもよかったのでいいのですが。

ともあれ、東側の巻き道を北上して行きますと、小灌木やら木が現れ始めます。荒れ地にまず生えるという白樺の子っこたちが、なんだか盆栽みたいでカワイイです。
風不死岳に入ると、かなり見事な白樺林が広がります。
この景色の急変ぶりは、同じ日の山行とは思えないほどでした。

さてしかし、景色を楽しんでいたのはそこらまで。聞きしにまさる急登が始まりました。しばしばロープや鎖が張ってある岩場は、久々の(山歩きではなく)山登り・岩登り。夕べ、買って来たばかりの「ヤマケイ」7月号で「槍の穂先の登り方」を予習しておいたのが役立ちました(嘘)。

時々心臓がばくばくいうわ、汗だくになるわしながら、標高を稼ぎます。
空が見えたのでおお!ついにピークか!と思ったら、その向こうにさらに高い場所が見えました。まだだったか…。
何人かの人がお昼しているその場所へ。やっと着いたぞ!と思ったら、そのまた向こうに人だかりのしている本当のピークが見えました。そこへ行くには、またひと山下りて登っていかねばなりません。う~~ん、この山、本当に侮れんな(笑)。

ともあれ、着きました。ピークは狭かったのですが、景色は素晴らしかった。写真は眼下に広がる支笏湖と、恵庭岳です。

飯を食い、ロープ場鎖場を快調に下り、樽前下の溶岩の道を歩きます。
いつ果てるともない道も、歩ってればいつか着く。最後の灌木林を抜けると、駐車場でした。15:00着。約6時間、みっちり歩きました。

*
ところで風不死岳(ふっぷしだけ)という名前ですが、「とど松(フ)が群生しているところ」という意味か、といいます。でもとど松は見かけませんでした。植生が変わったのか、別の場所の名称が適用されたのか、残念ながらわからない地名です。

2006/06/15 木

サッポロのまずいもん

ついに試してしまいました。
こんど観光みやげ売場に行ったら買ってみよう、と思っていたジンギスカンキャラメル(写真左)です。
(藻岩山頂で買いました)

「不味いことで有名」なんです。
それなりに売れているらしいのですが、面白がりはしても、よく言う人はいません。
食べてみました。
期待に違わぬ凄い味でした。
なんとも表現しようがない…強いていえば、大きな声では言えませんがゲロ味でしょうか。
1個でじゅうぶん満足です。でも、まだ16個残っています(1個は奥さん)。さてどうしたものか…。

で、写真右は、同じ時に目に入ってしまったマジックスパイススープカレーキャラメルです。
怖いもの見たさというのでしょうか。
人間は冒険する動物である。ということでしょうか。
つい、手が伸びてしまったのです。
食べてみました。
ん、こっちはそれなりにイケる。
辛いやら甘いやら、スパイシーやら怪しいやらで、とても訳のわからん味でありつつも、なかなかマジスパのイメージは出ています。

でもこっちもまだ16個残ってるんですよねー。
さてどうしたものか…。

2006/06/15 木

わたしが治る12の力

わたしが治る12の力―自然治癒力を主治医にする


友人のブログ経由で興味を抱き、読んでみました。
「治る」とはどういうことなのか。いや、そもそも「わたし」とは何なのか?

心の持ちようが病に与える影響について、12の視点とともに教えてくれる興味深い本です。

*
先日読んだ「脳はなぜ「心」を作ったのか」の次にこの本を手に取ったのは本当に偶然なんだけど、内容にはかなり共通点があります。
片や、ロボット工学者。こなた、鍼灸師。立場や関心の方向も全然違うのに、同様に<わたし>とは何かに言及しています。

西洋では「わたし」が主人であり「わたし」が世界の中心にいると考えますが、東洋では「わたし」は宇宙の一部であり宇宙に生かされていると考えます。
このような話はいささか宗教的に響きそうですが、「心とは?意識とは?」に対する先日のロボット工学者の解答を読んだ後では、別に突飛でも不思議でもなくて、「やっぱそうなのね」という感じがします。

*
西洋医学は、外科手術や薬品など外的な働きかけによって病気に立ち向かうわけですが、東洋医学ではむしろ人間の内的な力に着目し、それを引き出す方向を目指している。

<わたし>の声に耳を澄まし、良い<わたし>をイメージすることによって、病は癒える。
私は、けっこう真理を含んでいると思うんだけどどうでしょうか。

2006/06/12 月

脳はなぜ「心」を作ったのか

脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説
さぁー来た来た来た、…やばいぞ!

ひとに薦められ、タイトルに惹かれて開いてみたこの本「脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説(前野隆司)」のプロローグを読んで真っ先に思ったのはそんなことでした。
正確にはプロローグだけじゃなくて、何だろうこの人、と思って開いた奥付のプロフィール欄。慶応大学の教授で、ロボット工学者である。
ロボットの先生が脳と心について考えている! やばいぞ! というわけです。

プロローグには、「私は、生物の脳が、なぜ、なんのために心を造ったのか、そして、心はどんなふうに運営されているのか、という心の原理を理解した」と思い切り書いてあります。
いったいこの人は天才か。ユーモアリストか。はたまたパンドラの匣を無理に開こうとするマッドサイエンティスト(エンジニア)か…その話題のゆくえに興味惹かれるとともに、「ロボットに心は可能か」なんていう恐るべきテーマにどのような解を与えるつもりなのか、とにかく急かされるような気持ちで読みました。

*
ネタバレってこともあるので、その答えはここでは書きませんが、なるほど、以前書いた「ロボットは心を持つのか?」(PLUTOの項)という疑念には、一定の解答を与えてくれました。でももうひとつの「理解不能な恐ろしいものに違いない」という思い込みを解いてくれるものではありませんでした。

そういう意味では、この人マッド・サイエンティスト(エンジニア)までは言わないまでも、いささか楽天的過ぎるのではなかろーか? やっぱやばいぞ。というのが読後の率直なところです。

*
さて、ロボットなどの人工物が「心」を持つとき、それは「人間と同じような」ものでは恐らくないだろう。取りあえず思い浮かぶのは、これまた以前みた「マトリックス」の世界です(マトリックスの項)。

「マトリックス」の世界では、無数の人間がホースで繋がれている(物語では「エネルギーを採っている」ような設定だったと思うが)。それを司っているのは、人間にはコミュニケート不能の上位概念(コンピューターだっけか)でした。

どうも、人間が作る「もう一つの知能」というのは、そういうものになるんじゃないかと思います。

ま、それはお話だけど、そういえば人間はもう繋がっています。インターネットです。
また思い出した。先日読んだばっかの本。「不特定多数無限大」…「たくさんの個が基本的に等価で結び合わさった時に、今までとはまったく違った価値世界が生まれる」ってやつ。人間は結びあわさって、ニューラルネットワークのように地球上のあちこちで明滅を繰り返し、ある「心」を既に造っているのではないか(人間のニューロン一千億個に比べればまだ1/100程度の規模だが)。その全体像を人間自身はもちろん観察できない。それを観察できる者(=心)とは一体…?

以前に読んだ本や観た映画にも繋がって、非常にエキサイティングなひとときでした。
1/2 >>