トラバ考
こちらで、トラックバックに関する水かけ論(敢えて失礼な言い方をすれば)が展開されていたので、興味深く拝読した。
*
トラックバックという技術がある。
MovableTypeとかのBLOGツール辺りから知られ始めたんだと思う。
ある記事Aにインスパイアされて、その記事を引用またはリンクしつつ新しい自分の記事を書くことがある。
昔は引用またはリンクして終わりだったが、そんな時にトラックバックを使うとA記事との関連ができ、A記事の作者(と読者)に対して「引用またはリンクさせてもらったよ」と宣言できるとともに、向こうからもこちらを参照することができるようになる。
当初想定されたのは、こういう双方向リンクを引用者(こちら)側から容易に作れるということではなかったろうか。
ところが、この技術を各個人がどう使うかについては、まったく固まっていない。
基本もルールもマナーもへったくれもないので、トラックバックはこうあるべきだ、こういうトラックバックはダメだ、いやそうじゃない、という議論が生まれるんだろう。
議論は、大いにすべきだ。
議論のあるなしに関わらず、そのうち定番マナーが生まれるだろう。
そして定番マナーのあるなしに関わらず、そこはスパマーの巣窟になるだろう。
*
昔はどこかのWebサイトにリンクを張られても、メールかBBSで知らせてくれるのでなければわからなかった。
メールという、ちょっとだけあらたまった手続きの必要なく、しかも相互のスイッチつきのリンクが張れるのは大きなメリットだろう。
またトラックバックがあると、(個人的ユーザーとしては)素朴に嬉しい。つながっている、読んでもらっていることがわかって嬉しいという本能のようなものかも知れない。
ごく私見だが、まとめるとトラックバックには次のような意味があるのではないだろうか。
・引用・またはリンクを知らせる礼儀。
・有機的な双方向コミュニケーション。情報取得機会の共有化。
・つながっている喜び、楽しみ。
*
技術はバラ色の側面だけでは決してない。
特に、便利で多くの人が利用するサービスともなれば、それに目をつけるいろんなヤカラが出てくるものだ。
トラックバックスパムは、結構早くから登場していた。
用もないのにトラックバックを打つことによって、BLOGの読者をエッチサイトなどに誘い込もうとする。
(いっこうに減らないところを見ると、一定の広告効果があるらしい)
この議論のおおもとのページでは(え?1999年ですねぇ…)、「単に同じ話題を扱っているというだけで、…片っ端から絨毯爆撃してくる…(そういうサイトに)共通しているのは、…アフィリエイトへのリンクがてんこ盛りになっていること」という目によく遭うらしい。単に自サイトへのトラフィックを増やしたいがためのトラックバックも存在するようだ。
スパム業者ではないかも知れないが、根っこは同じだろう。
そういう(違法)商行為ではなくとも、結果的に失敬でしかない招かれざる議論やコメントやら何やらまで、トラックバックでくっつけられるということもある。
そもそも、相手にとって失敬かどうか(有益か否か)は、自分が決めることじゃないからね、どんなに善意の引用(トラックバック)でも、それが迷惑である可能性は常にあるのだ。
*
このように、トラックバックは「大変面白い」反面、諸刃の刃でもある。
わたくし自身は、冒頭に書いたような「インスパイア」が明確にあって、同じテーマのエントリーで引用やリンクを張らしてもらった時には、相手が受け付けていればトラックバックを発信するようにしている。
一方、それをルール化(明文化)までしてユーザーに強いるものではないという主張も充分に頷けるものだ。
要は、ユーザーの良識にゆだねられるべき領域の問題ということだ。
(ないけどね、良識…)
*
「webのおべんきょー」なのでついでに書いておくと…。
トラックバックやニュースフィードを実現するRSS技術を括って、セマンティックweb技術というそうな。セマンティック(semantic)は、「意味の上での」ということ。サイトの意味を汲み取って要約・配信できるということだろうか。
メール、Web、P2Pなどと同列のインターネット技術で、BLOG閲覧を含むニュースリーダーは確かに1ジャンルを成すようになっている。
どう使うか固まっていないと書いたが、利にさとい馬鹿スパマーがその機能に目をつけないわけがない。
インターネット技術は、すべてスパムかマルウェア媒体に収斂して行くのである。
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トラックバックという技術がある。
MovableTypeとかのBLOGツール辺りから知られ始めたんだと思う。
ある記事Aにインスパイアされて、その記事を引用またはリンクしつつ新しい自分の記事を書くことがある。
昔は引用またはリンクして終わりだったが、そんな時にトラックバックを使うとA記事との関連ができ、A記事の作者(と読者)に対して「引用またはリンクさせてもらったよ」と宣言できるとともに、向こうからもこちらを参照することができるようになる。
当初想定されたのは、こういう双方向リンクを引用者(こちら)側から容易に作れるということではなかったろうか。
ところが、この技術を各個人がどう使うかについては、まったく固まっていない。
基本もルールもマナーもへったくれもないので、トラックバックはこうあるべきだ、こういうトラックバックはダメだ、いやそうじゃない、という議論が生まれるんだろう。
議論は、大いにすべきだ。
議論のあるなしに関わらず、そのうち定番マナーが生まれるだろう。
そして定番マナーのあるなしに関わらず、そこはスパマーの巣窟になるだろう。
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昔はどこかのWebサイトにリンクを張られても、メールかBBSで知らせてくれるのでなければわからなかった。
メールという、ちょっとだけあらたまった手続きの必要なく、しかも相互のスイッチつきのリンクが張れるのは大きなメリットだろう。
またトラックバックがあると、(個人的ユーザーとしては)素朴に嬉しい。つながっている、読んでもらっていることがわかって嬉しいという本能のようなものかも知れない。
ごく私見だが、まとめるとトラックバックには次のような意味があるのではないだろうか。
・引用・またはリンクを知らせる礼儀。
・有機的な双方向コミュニケーション。情報取得機会の共有化。
・つながっている喜び、楽しみ。
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技術はバラ色の側面だけでは決してない。
特に、便利で多くの人が利用するサービスともなれば、それに目をつけるいろんなヤカラが出てくるものだ。
トラックバックスパムは、結構早くから登場していた。
用もないのにトラックバックを打つことによって、BLOGの読者をエッチサイトなどに誘い込もうとする。
(いっこうに減らないところを見ると、一定の広告効果があるらしい)
この議論のおおもとのページでは(え?1999年ですねぇ…)、「単に同じ話題を扱っているというだけで、…片っ端から絨毯爆撃してくる…(そういうサイトに)共通しているのは、…アフィリエイトへのリンクがてんこ盛りになっていること」という目によく遭うらしい。単に自サイトへのトラフィックを増やしたいがためのトラックバックも存在するようだ。
スパム業者ではないかも知れないが、根っこは同じだろう。
そういう(違法)商行為ではなくとも、結果的に失敬でしかない招かれざる議論やコメントやら何やらまで、トラックバックでくっつけられるということもある。
そもそも、相手にとって失敬かどうか(有益か否か)は、自分が決めることじゃないからね、どんなに善意の引用(トラックバック)でも、それが迷惑である可能性は常にあるのだ。
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このように、トラックバックは「大変面白い」反面、諸刃の刃でもある。
わたくし自身は、冒頭に書いたような「インスパイア」が明確にあって、同じテーマのエントリーで引用やリンクを張らしてもらった時には、相手が受け付けていればトラックバックを発信するようにしている。
一方、それをルール化(明文化)までしてユーザーに強いるものではないという主張も充分に頷けるものだ。
要は、ユーザーの良識にゆだねられるべき領域の問題ということだ。
(ないけどね、良識…)
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「webのおべんきょー」なのでついでに書いておくと…。
トラックバックやニュースフィードを実現するRSS技術を括って、セマンティックweb技術というそうな。セマンティック(semantic)は、「意味の上での」ということ。サイトの意味を汲み取って要約・配信できるということだろうか。
メール、Web、P2Pなどと同列のインターネット技術で、BLOG閲覧を含むニュースリーダーは確かに1ジャンルを成すようになっている。
どう使うか固まっていないと書いたが、利にさとい馬鹿スパマーがその機能に目をつけないわけがない。
インターネット技術は、すべてスパムかマルウェア媒体に収斂して行くのである。