2006/12/11 月
2006/12/01 金
政治不信
参院教育基本法特別委員会は三十日、同法改正案の地方公聴会を四日に開催することを議決した。野党側は地方公聴会終了後の参考人質疑や中央公聴会の開催を求めているが、与党側は野党の要求受け入れも視野に、会期を小幅延長してでも採決に持ち込む方針で、同法案の今国会での成立は確実な情勢になった。
議論が尽くされ、国民の合意が得られているとも思えないのだが、変化は粛々と進んでいる。防衛庁の省昇格法案は、今国会での成立が確実になった。衆院は三十日の衆院本会議で、同法案を自民、公明、民主、国民新党などの賛成多数で可決し、参院に送付した。
自民(安倍)もダメ、民主もダメとなれば、私たちは膝を抱えて泣いているしかないのか。
やり切れんわ。
2006/09/22 金
國歌の強制
タカ派ナショナリズムの台頭を目前にして、ひとつ良識ある判決が出ましたな。東京都立高校などの教職員が都と都教育委員会を相手に、入学式や卒業式で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務がないことの確認などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は21日、国旗国歌の強制は許されないとして請求を認め、斉唱しないことなどを理由とした処分を禁じた。
石原都知事が「平均的なレベルの高校を見たが、(生徒は)先生の言うことを聞かない。規律を取り戻すため、ひとつの手だてが国旗国歌への敬意だと思う」として控訴する方針というが、まったくズレた粗論です。
2006/09/05 火
北方領土問題
操業中の日本漁船がロシア警備艇から銃撃を受け、一人が死亡、三人と船とがロシアに拿捕され、国後島の古釜布に連行された。
二人は還されたが、船長は今も拘束されたまま。
協定にある海域・産物を逸脱した、いわゆる「密漁」が疑われている。…
まだ新しいニュースなのに、報道も少ないし「上」が怒っている気配もないので、すっかり「記憶に新しい」という感じがしない。なんとも腹立たしい。
ところで客観的に見て、北方領土はどっちに属していると考えるのが自然なのか? と思って手に取ったのがこの本である。
北方領土問題―4でも0でも、2でもなく (岩下明裕) 中公新書
一読してわかったことは、とにかく領土問題に客観的見解などない、ということだった。
だいたい、どこがあり得る「線」なのかということも、厳密にみると何とも言えないらしい。(千島列島の先かも知れない)
いわゆる四島に関しては、もともと日本が侵略・占領などのプロセスを経ないで(アジア諸地域と違って)領有・居住していたが、第二次世界大戦終了(敗戦)時に、当時のソ連がいわゆる四島を占拠し、17,000人の日本人住民を強制退去させ、そして今15,000人のロシア人が住んでいる。以上。なのである。
(先住民については言及していない)
日本政府としてはこれを不法占拠と見なしているが、ロシアにはロシアの言い分があり、お互いの主張は近くなったり遠くなったりしつつ平行線をたどったままなのだ。
共同宣言が出されたり、安全操業協定が結ばれたりしているが、いわゆる条約などの形で取り交わされた約束はなく、国境も確定していない。
殺人事件があっても激怒もできず、あろうことか何十発も銃弾を受け、一人は死んでいるにも関わらず訴追すらできないのだ。
膠着状態が打開されない一因は北方領土が両国間にとって真に切実な問題ではないからだ、という指摘もあるが、このような状況をとっとと解決しなければならないのは当然だろう。
ところでこの本は、領土(というか国境)問題に対してユニークな視点を提供している。
著者は、もとロシアと中国の国境画定プロセスの研究者である。(現・北大スラブ研究センター教授)
この二国は4,000kmを超える地続きの国境を有しており、その接点では日ロどころではない深刻な摩擦や大小の紛争が絶えなかった。「どっちがどっちのものだ」という議論は山ほどあり、果てがないように思われた。だが両国は、2005年に歴史的な合意に達したという。
それを現実にできたのは、法的根拠は措いておいて、現実的に「フィフティ・フィフティ」で、「ウィン・ウィン」の立場から、境界を分け合うという方法を採用できたからだった。
そこで副題の「4でも0でも、2でもなく」が出てくる。
日露が最も歩み寄った時、その案は取りあえず「2」が返り、残りの「2」は継続審議とする、というものだった。日本は「4」にこだわり、これを蹴った。だがそもそもロシアは、四島は自らの権利であって本来答えは「0」であり、「2」は単に温情だという考えなのだ。
法的な手続きにこだわれば、答えは「4」か「2」か「0」しか存在しないが、それではどちらかが「失った」という感覚は消えず、今後に禍根を残すばかりであろう。これでは埒があかん。真の両国、ひいてはアジア、さらに世界の利害を考えるなら、中ロに倣ってお互いに歩み寄れるところで手を打ち、双方が少しずつ「得た」結果にするのがよい。
著者は、そんな案を提示する。
結論だけポンと書けば、国後までは日本に戻せ、ということである。
これはいいセンかも知れない。
また数十年にもわたって出口のない駆け引きを繰り返すより、現実的な線で決着をはかるのがお互いのためになりそうだ。
二人は還されたが、船長は今も拘束されたまま。
協定にある海域・産物を逸脱した、いわゆる「密漁」が疑われている。…
まだ新しいニュースなのに、報道も少ないし「上」が怒っている気配もないので、すっかり「記憶に新しい」という感じがしない。なんとも腹立たしい。
ところで客観的に見て、北方領土はどっちに属していると考えるのが自然なのか? と思って手に取ったのがこの本である。
北方領土問題―4でも0でも、2でもなく (岩下明裕) 中公新書
一読してわかったことは、とにかく領土問題に客観的見解などない、ということだった。
だいたい、どこがあり得る「線」なのかということも、厳密にみると何とも言えないらしい。(千島列島の先かも知れない)
いわゆる四島に関しては、もともと日本が侵略・占領などのプロセスを経ないで(アジア諸地域と違って)領有・居住していたが、第二次世界大戦終了(敗戦)時に、当時のソ連がいわゆる四島を占拠し、17,000人の日本人住民を強制退去させ、そして今15,000人のロシア人が住んでいる。以上。なのである。
(先住民については言及していない)
日本政府としてはこれを不法占拠と見なしているが、ロシアにはロシアの言い分があり、お互いの主張は近くなったり遠くなったりしつつ平行線をたどったままなのだ。
共同宣言が出されたり、安全操業協定が結ばれたりしているが、いわゆる条約などの形で取り交わされた約束はなく、国境も確定していない。
殺人事件があっても激怒もできず、あろうことか何十発も銃弾を受け、一人は死んでいるにも関わらず訴追すらできないのだ。
膠着状態が打開されない一因は北方領土が両国間にとって真に切実な問題ではないからだ、という指摘もあるが、このような状況をとっとと解決しなければならないのは当然だろう。
ところでこの本は、領土(というか国境)問題に対してユニークな視点を提供している。
著者は、もとロシアと中国の国境画定プロセスの研究者である。(現・北大スラブ研究センター教授)
この二国は4,000kmを超える地続きの国境を有しており、その接点では日ロどころではない深刻な摩擦や大小の紛争が絶えなかった。「どっちがどっちのものだ」という議論は山ほどあり、果てがないように思われた。だが両国は、2005年に歴史的な合意に達したという。
それを現実にできたのは、法的根拠は措いておいて、現実的に「フィフティ・フィフティ」で、「ウィン・ウィン」の立場から、境界を分け合うという方法を採用できたからだった。
そこで副題の「4でも0でも、2でもなく」が出てくる。
日露が最も歩み寄った時、その案は取りあえず「2」が返り、残りの「2」は継続審議とする、というものだった。日本は「4」にこだわり、これを蹴った。だがそもそもロシアは、四島は自らの権利であって本来答えは「0」であり、「2」は単に温情だという考えなのだ。
法的な手続きにこだわれば、答えは「4」か「2」か「0」しか存在しないが、それではどちらかが「失った」という感覚は消えず、今後に禍根を残すばかりであろう。これでは埒があかん。真の両国、ひいてはアジア、さらに世界の利害を考えるなら、中ロに倣ってお互いに歩み寄れるところで手を打ち、双方が少しずつ「得た」結果にするのがよい。
著者は、そんな案を提示する。
結論だけポンと書けば、国後までは日本に戻せ、ということである。
これはいいセンかも知れない。
また数十年にもわたって出口のない駆け引きを繰り返すより、現実的な線で決着をはかるのがお互いのためになりそうだ。
2006/08/20 日
嫌いなものを研究してみる
…なぁんて、酔狂なことを考えてしまったんですが、なにしろ嫌いなものには時間がかかる(笑)。興味のある内容なら半日で読んじゃうくらいの本に、約1カ月もかかってしまいました。
「美しい国へ」 安倍晋三 (文春新書)です。
「嫌い」からスタートしているせいもあるかも知れませんが、なにしろ、その安直なナショナリスティックな内容が鼻につきます。
自由と民主主義から靖国へ、オリンピック(日の丸の掲揚)から国歌≒ナショナリズムへ、9.11から自衛隊へ、拉致被害者から「愛国心」へ、という論理構成はサスガ政治家。長けています。
読者の心の柔らかいところを突きつつ、用意した結論へ…というのは、イッシューを単純化して自分の土俵に持ち込もうとする例のナントカ劇場に通じる手法ですね。
平易な文章そのものは読みやすいのですが、敢えてかみくだいているのか、それとも平易にしか書けないのかは気になるところ。
また、民意が戦争に駆り立てた、(靖国に祀られている英霊は)国家のためにすすんで身を投じた、国民の総意でA級戦犯を犯罪者でなくした、など、主語のスリ替えや論理の放埒さも目立ちます。
全体として、非常にアヤウイ人だという理解がくつがえることはありませんでした。
ところで、いいことも多少は言っています。
「(中国が反日キャンペーンを張る理由をアメリカの政府高官がよく知らなかったことを受けて)戦後日本の民主主義の歴史を、…世界に向けてきちんと説明して来ただろうか?」
そうだ。説明しれ。
自分の靖国参拝について黙してないで。
*
片や、意外にスンナリ読めたのはこちらです。
「巨人軍論 ――組織とは、人間とは、伝統とは」 野村克也 (角川新書)
よく人に、「オレはアンチ巨入だ」と言うと、そいつは決まってニヤリとして、「アンチ巨入は実は巨入ファンなんだ」ということを言います。
オレはたいていムっとして話を逸らしてしまったものですが、それはある意味図星を突かれたからです。
確かに、嫌いなはずの巨入のメンバーは真っ先に覚えるし、ペナントレースの順位やゲーム差も巨入に限って知っていたりするのです。
(さすがに今はそういうこともなくなりましたが)
北海道では特にそうですが(本書の中で京都出身の野村氏もそうだったと言っています)、プロ野球中継といえば巨入戦しかなかった時代です。しかもV9とか言って、とにかく圧倒的に巨入は野球の頂点に君臨していた。それこそまばゆいばかりの存在でした。間違いなく、子供の頃は巨入ファンでした。
でも、その後、Vを逃がしたり下位に低迷する年もあったりするにつれ、徐々にかつて輝いていた巨入に幻滅するようになったような気がする…。
「なぜアンチなんだろう?」と考えるにつけ、そういう理由が脳裏に浮かびました。
この本には、まさにそういうことが“巨入凋落の原因”として書かれていました。日本の野球は紛れもなく巨入が創り、リードして来た。球界の範たる立派な監督と選手ばかりだった。それが今は…という具合です。
そればかりでなく、「中心なき組織は機能しない」「この状況でなぜそのボールを投げるのか、その根拠を明確にしろ(データ活用のコツ)」など、組織論、マーケティング論として読んでも傾聴すべきことが書いてあります。
これは好著でした。
*
だいたい巨入って言うなよ。読売ジャイアソツだろ。(球団運営会社名としては「読売巨人軍」らしいけど)
それを言うなら、昇竜軍とか飛燕軍、猛虎軍とか各チームを日本語で言ったらどうだ。鯉のぼり軍とか、酔鯨軍とかだな。
あれ。大洋って今はホエールズじゃないんだっけ…。(←大洋ですらない)
「美しい国へ」 安倍晋三 (文春新書)です。
「嫌い」からスタートしているせいもあるかも知れませんが、なにしろ、その安直なナショナリスティックな内容が鼻につきます。
自由と民主主義から靖国へ、オリンピック(日の丸の掲揚)から国歌≒ナショナリズムへ、9.11から自衛隊へ、拉致被害者から「愛国心」へ、という論理構成はサスガ政治家。長けています。
読者の心の柔らかいところを突きつつ、用意した結論へ…というのは、イッシューを単純化して自分の土俵に持ち込もうとする例のナントカ劇場に通じる手法ですね。
平易な文章そのものは読みやすいのですが、敢えてかみくだいているのか、それとも平易にしか書けないのかは気になるところ。
また、民意が戦争に駆り立てた、(靖国に祀られている英霊は)国家のためにすすんで身を投じた、国民の総意でA級戦犯を犯罪者でなくした、など、主語のスリ替えや論理の放埒さも目立ちます。
全体として、非常にアヤウイ人だという理解がくつがえることはありませんでした。
ところで、いいことも多少は言っています。
「(中国が反日キャンペーンを張る理由をアメリカの政府高官がよく知らなかったことを受けて)戦後日本の民主主義の歴史を、…世界に向けてきちんと説明して来ただろうか?」
そうだ。説明しれ。
自分の靖国参拝について黙してないで。
*
片や、意外にスンナリ読めたのはこちらです。
「巨人軍論 ――組織とは、人間とは、伝統とは」 野村克也 (角川新書)
よく人に、「オレはアンチ巨入だ」と言うと、そいつは決まってニヤリとして、「アンチ巨入は実は巨入ファンなんだ」ということを言います。
オレはたいていムっとして話を逸らしてしまったものですが、それはある意味図星を突かれたからです。
確かに、嫌いなはずの巨入のメンバーは真っ先に覚えるし、ペナントレースの順位やゲーム差も巨入に限って知っていたりするのです。
(さすがに今はそういうこともなくなりましたが)
北海道では特にそうですが(本書の中で京都出身の野村氏もそうだったと言っています)、プロ野球中継といえば巨入戦しかなかった時代です。しかもV9とか言って、とにかく圧倒的に巨入は野球の頂点に君臨していた。それこそまばゆいばかりの存在でした。間違いなく、子供の頃は巨入ファンでした。
でも、その後、Vを逃がしたり下位に低迷する年もあったりするにつれ、徐々にかつて輝いていた巨入に幻滅するようになったような気がする…。
「なぜアンチなんだろう?」と考えるにつけ、そういう理由が脳裏に浮かびました。
この本には、まさにそういうことが“巨入凋落の原因”として書かれていました。日本の野球は紛れもなく巨入が創り、リードして来た。球界の範たる立派な監督と選手ばかりだった。それが今は…という具合です。
そればかりでなく、「中心なき組織は機能しない」「この状況でなぜそのボールを投げるのか、その根拠を明確にしろ(データ活用のコツ)」など、組織論、マーケティング論として読んでも傾聴すべきことが書いてあります。
これは好著でした。
*
だいたい巨入って言うなよ。読売ジャイアソツだろ。(球団運営会社名としては「読売巨人軍」らしいけど)
それを言うなら、昇竜軍とか飛燕軍、猛虎軍とか各チームを日本語で言ったらどうだ。鯉のぼり軍とか、酔鯨軍とかだな。
あれ。大洋って今はホエールズじゃないんだっけ…。(←大洋ですらない)
2006/08/17 木
2006/08/10 木
2006/07/25 火
ガッカリなニュース
このニュースは残念ですねぇ。残念です。“安倍次期総裁”が既定路線になってしまったからです。福田康夫元官房長官は二十一日、九月の自民党総裁選に出馬しないことを決めた。同日夜、東京都内の自宅前で記者団に「年も年だ。総合的に判断した」と明言した。これにより総裁選は、最大派閥の森派の大勢が支持し、他派閥の中堅・若手にも横断的に支持を広げる安倍晋三官房長官の優位が一層鮮明になる中で、福田氏以外の候補が絡んでいく構図となる。
もっとも、「正面切って戦って万一負けたら、小泉-安倍路線の信任が揺るがないものになってしまう」「いま国論を二分することは国益上好ましくない」「“反靖国”の旗印として担がれているだけ」等々、報道されている不出馬の理由は、いずれも納得という感じもします。結局しょうがないんです、自民党だから、森派だから…。ますます、小沢民主党に頑張ってもらいたいですねぇ。
*
ところで、安倍氏絡みで驚いたのは「A級戦犯の遺族には遺族年金が支払われている」という事実でした。(
支払いの是非を論じるつもりはありませんが、実際問題として、国際的に有罪判決が出ていても国内法上は「犯罪者ではない」という位置づけになっているんですね。ここに、日本自身の(そして安倍氏の)歴史認識のあやふやさが見てとれるのではないでしょうか。
(戦犯の取扱いについては、ここに資料があります)
安倍氏はまた、東京裁判について「インドのパール判事がそもそも裁判を行う資格があるのかを問いかけている。事後法的な罪で裁かれており、問題点があったのはだいたい国際的な常識だろう」(参照)とも言っているそうです。
手続きに難があり、判決に問題があったら何だと言いたいのでしょうか。日本の戦争は実は正しかったとでも?
キケンですねぇ。
自らをキチっと総括しないで言いたいことばかり言っていると、近隣諸国との軋轢は増すばかりでしょう。
(2006/7/26追記)
※
氏の「美しい国へ(文春新書)」の中にこの記述がありました。「だからなんなのか」「どうしたらいいのか」については言及していません。ただ国内法では犯罪者ではない、とだけ。
「再チャレンジ可能な社会」についてもちらっと読んだんだけど、そのためには「公平な競争環境を担保する」という条件つき。そんなのあり得ませんよね。
2006/07/15 土
10年後の日本
10年後の日本 『日本の論点』編集部編 文春新書
出版されたのは昨年ですから、もう「9年後」に迫っています。その時、日本はどうなっているか…という本。と言いつつ10年後は決して未来ではない。まさに、いま現在の問題そのものが語られているわけです。
しかしまぁ~見事に、目をそむけたくなるキーワードの数々。
- 格差の拡大、「階級」の固定化。
- 検挙率の低下、治安の悪化。
- 消費税は15%に。
- 医療や教育の地盤沈下。
- 年金の崩壊。
- 増える年寄、弱くなる子供たち。
- 団塊の定年、人口減少の中に潜む悲劇。
- 1000兆円の超大台(そしてハイパーインフレ)が見えてきた、借金大国日本。
外を見ても、大中国の覚醒による資源の食い潰し(お陰で、ガソリン相場も下がらない)や、「南北」合流によるアジアの緊張増大。懲りないアメリカは二酸化炭素の出し放題…。
できればアオリか釣り、それか悪い夢であって欲しい。っていうくらい、いい材料はありません。
安閑としている間に、ここまで追いつめられていた。
本当の話、日本沈没は近いです。
2006/05/30 火
ああホッカイドー
aleut-heaven.comに掲載された、新谷暁夫氏の「北海道アウトドアガイド資格制度のゆくえ」を読んだ。
道の肝いりで進められて来た「アウトドアガイド資格制度」が頓挫した経緯と原因について氏が考察した内容である。
“ガイド”や“ガイドを利用して野遊びしようとする人”のあり方について大変考えさせてくれる文章である。
氏は語る。「アウトドアは所詮遊びだ。」…「アウトドアとは余暇に野外で行う趣味にすぎない。その趣味を煽り、そこから必要以上の利益をあげようとすることは果たして正しいことなのだろうか。」 禿同である。
(注・ここで矛先となっているのはガイドすべてではなく、行政や、責任よりも利益を重んじる大手事業者)
中んづく行政が恣意的に市民を“規制”したがる姿は、例えば先の社保庁の詐欺行為や、何かと情報統制に走りがちな政府・総務省の態度とどこか重なる。
ちょっと遠いかも知れないが、日本に“自己責任”が育たない理由は、歴史的に行政がエラすぎたせいなのではないかと思っているので、この話題も「また行政の暴走か」という文脈の話に見えるのである。
道の肝いりで進められて来た「アウトドアガイド資格制度」が頓挫した経緯と原因について氏が考察した内容である。
“ガイド”や“ガイドを利用して野遊びしようとする人”のあり方について大変考えさせてくれる文章である。
氏は語る。「アウトドアは所詮遊びだ。」…「アウトドアとは余暇に野外で行う趣味にすぎない。その趣味を煽り、そこから必要以上の利益をあげようとすることは果たして正しいことなのだろうか。」 禿同である。
(注・ここで矛先となっているのはガイドすべてではなく、行政や、責任よりも利益を重んじる大手事業者)
中んづく行政が恣意的に市民を“規制”したがる姿は、例えば先の社保庁の詐欺行為や、何かと情報統制に走りがちな政府・総務省の態度とどこか重なる。
ちょっと遠いかも知れないが、日本に“自己責任”が育たない理由は、歴史的に行政がエラすぎたせいなのではないかと思っているので、この話題も「また行政の暴走か」という文脈の話に見えるのである。