2007/04/16 月

夕張の選挙

統一地方選の後半を迎え、夕張の市長・市議会議員候補が告示された。
周囲がどう考えているかではなく、夕張の市民がどう考えているかを知るという意味で、たいへん興味がある。

個人的な興味の延長ではあるが、なんと!高校時代の同級生が市議選に立った。
Dくんである。

正直言って、在学中は特に話をした記憶もないのだが(別クラスだったので)、先日親しく話した限りでは、いい感じの正義漢だった。

彼はいう、「今の夕張にした人たちがほとんどを占める市会議員の選挙にがまんできなかったこと、お年寄りを代表する市民の人たちの憤懣やるかたない気持ちを、なんとか市政に届けたい」ので立候補を決めた、と。

ごく当たり前の感性だし、立派な志だと思う。
当たり前をきちんとやり通すことが今の世の中で最も尊いのである。

応援してるぞ!!
(言うだけじゃなくて具体的に応援したいが、選挙活動というものをしたことがなくて、どうするのがよいか分からない。せめてこうして微文で)

*
余談だが、「あれっ?」と思って調べてみたら、「公示」は衆参通常選挙で使われる言葉で、他の選挙では「告示」というらしい。(参照
知らんかった…orz。

2007/04/16 月

シマゲジ風雲録

シマゲジ風雲録―放送と権力・40年
というわけで、

シマゲジ風雲録―放送と権力・40年」(島桂次)文藝春秋

を読んだ。
往年のNHK会長の自伝である。

Wikipediaによると、島氏が会長を辞任したのは1991年というから、私も(とっくに(^^;))社会人になっていたが、当時の様子はオボロにしか覚えていない。独断専横とか、女性(同伴)問題で責任を追及された、かなりコワモテで腹黒いおじさん、というイメージしかなかったような気がする。

読んでみると、その強引さはヤハリ鼻につきつつ、かなり痛快な本でもあった。(もちろん当事者が一方的に書いている本なわけだから、事実関係の理解には一定の差し引きが必要だろうけど)

なにより、氏が早くからマルチメディアやビデオジャーナリズム、地球の時差を利用したGNN(Global News Network)の必要性などに着目していたその柔軟性と先見性には驚かされる。

NHKの構造改革に積極的に取り組んだ点でも、歴代会長の中では異色のようだ。
中でもNHKエンタープライズを始めとする関連団体の設立はこの人の発案だという。(NHKのリソース=番組を、日本/世界のリソースとして活用する、またNHKの自立、(郵政主導の)巨大化への歯止めなどの意図があったという…逆に利益の囲い込みのニオイも感じるわけだが)
波の整理(チャンネルを減らせ、と言ったらしい)もつとに言い出していた。
NHKの「親方日の丸」体質や利権の跋扈の様子なども、かなり赤裸々に描き、歯がみしている。

NHKの中では突出して開明的であり、超改革派なのであった。

政治部記者として(というか結局性格と能力がモノを言ったと思うが)養った政界との極太のパイプを軸にした仕事っぷりも痛快そのものである。

そのキャラクターゆえに敵も多かったわけだろうけど、その才能は惜しまれるべきだろう。

2007/04/16 月

憲法是か非か

私は9条あったればこそ、日本というひ弱な国がこのような苛酷な国際環境の中で、かくも繁栄しつつ生き延びることができた根本条件だったと思っている。
9条がなければ、日本はとっくにアメリカの属国になっていたろう。あるいは、かつてのソ連ないし、かつての中国ないし、北朝鮮といった日本を敵視してきた国家の侵略を受けていただろう。
9条を捨てることは、国家の繁栄を捨てることである。国家の誇りを捨てることである。9条を堅持するかぎり、日本は国際社会の中で、独自のリスペクトを集め、独自の歩みをつづけることができる。
9条を捨てて「普通の国」になろうなどという主張をする人は、ただのオロカモノである。

改憲狙う国民投票法案の愚 憲法9条のリアルな価値問え - ビジネススタイル - nikkei BPnet

改憲について立花隆氏が胸のすくことを言っている。

改憲派の論拠のひとつに、特に「9条」が「アメリカから押しつけられたもの」という点があるが、これは実は議論の一方の見かたに過ぎない(幣原喜重郎(つまり日本側)が発案したという説もある※)。それに、自発的なものか押しつけかは結局どちらでもよい、現行憲法の価値をこそ問え、という内容である。

※ちょうど「落日燃ゆ」(城山三郎)という本を読み終えたところなんだけど、城山氏は「幣原発案説」に立っている。(心からの平和への期待である)

私は、この国際テロ時代に当時の枠組みのままでよいのかなぁと思う一方、専守防衛・戦争放棄の理念は絶対に捨ててはいけないと思っている。
仮に「戦争」と「防衛」とを峻別できるならいいとも思うが(スイスみたいに)、それはムリだし、今の政府与党には毛頭ない考え方だろう。

ところで「落日燃ゆ」ではまた、「統帥権」を分離し、軍部の暴走を許した大日本帝国憲法を「長州が作った憲法」として批判している。

長州と言えば、
「私も伝統ある長州出身の政治家として、命がけで頑張りたい」(出馬時の地元での決意表明)
「戊辰戦争では迷惑かけた」(会津での応援演説)
「同じ長州につながるものとして、血が騒ぐ」(映画「長州ファイブ」を観て)
などとアナクロニスチックなことを言っている、あの現職総理大臣の系譜である。

いつの間にか「省」に格上げされていたり、重要な法案も数をもって押し通そうとしたり、愛国心を法律で謳ったりすることは、実は「美しい長州」のためではないのか。

少なくともそういう人は日本国憲法について語って欲しくない。

2007/04/13 金

憲法は変わるのか

衆院憲法調査特別委員会は十二日、憲法改正手続きを定める国民投票法案の与党修正案を自民、公明両党の賛成多数で可決した。野党側は「審議不十分」として採決に反対したが、与党側が押し切った。与党は十三日の衆院本会議で可決、参院に送付する方針。同法案は五月中旬にも成立するのが確実で、最長で二期六年の自民党総裁任期中の憲法改正を目指す安倍晋三首相の政権下で、戦後の憲法制定以来、改憲への扉が初めて開くことになる。
特別委での可決について、首相は「相当長い議論、深い議論をしてきた。その結果いよいよ採決の時が来た」と早期成立に期待感を示した。一方、民主党の鳩山由紀夫幹事長は「憲法改正が現実になった時、今回の強行採決が汚点として残る」と批判した。

政治 北海道新聞

いったい、議論は尽くされたのだろうか。
充分議論されたのなら、なぜそのプロセスが「強行採決」なのだろうか。
そういう風にして決められるべき案件ではないだろう。

アベ君の暴走を、國民は止めたいところである。

と思っていたら、田原聡一朗さんがたいへん面白いことを言っている。

統一地方選は盛り上がらなかった。石原慎太郎さんをはじめ、現職は9人全員が勝った。都知事選も、浅野史郎さんがもっと激しく追撃するかと思ったが、追撃できなかった。
新聞などでは、浅野さんが石原さんに対して争点を明確にできなかったと批判している。
だが、争点を明確にできなかったのではなくて、実は争点がなかったのではないか。
浅野さんがどうこうという問題ではなくて、時代が、一言でいうと「戦時」から「平時」に変わったのだ。

盛り下がった都知事選に石原慎太郎が大勝した意味 - ビジネススタイル - nikkei BPnet

“平時”なんである。
この指摘が正しいのかどうなのか。改憲を國民は望むのか。
というか日本國民はどの程度利口なのか。
参院選が試金石となりそうだ。

2007/04/09 月

統一地方選(結果)

まずは順当だったようで。

道知事ははるみちゃん(自民等推薦)、札幌市長は上田氏(民主等推薦)と両現職。ともに圧勝と言えるくらいの得票での当選でした。ま、納得の結果です。

全国的に見ると、知事選では自民系現職が強かったようです。大きな変化は求められていないのか…。東京も、思いもかけない圧勝劇。やっぱ東京オリンピックは誘致したいんですかねぇ…(笑)。

対する道議・札幌市議は、自民が第一党をなんとか守ったものの、民主が議席を伸ばしています。(全国では自民が「過半数」を割ったという)
「上」の方では自民優勢だったわけですが、「下」の方はじわりじわりと動いているようで、悪くない傾向。これも納得といったところです。

*
気になった投票率は、知事選64.13%(札幌市長選62.22%)と、まずまず。
でも過去の知事選での最高は、1983年の83.89%(当選堂垣内尚弘氏)というから驚き。隔世の感がありますねぇ。

*

(c)北海道新聞
あと、この写真にもびっくり。
北海道新聞には、「(札幌市議に)初当選を決めた山口さん(左)。選挙運動を支えてくれた友人らと、笑顔で記念写真に納まった」とキャプションがあったのですが、確かに「友人」はいるけど、候補者いないじゃん?と思ったらなんと「(左)」の人がそれ。30歳の現役女子大生(小樽商大)だそうだ。へぇー。

*
ところではるみちゃんですけど、今年の雪まつりの時に雪の滑り台から滑り降りようとして「45キロ(体重と思われ)だから受けとめて~」と叫んだのを見て以来、なんとなく親近感があります(笑)。

2007/04/08 日

統一地方選

札幌は4つの選挙(北海道知事、札幌市長、道議会、市議会)があって、これは全国最多なんだそうだ。
「上」の方はともかく、議員の方はもう誰が何を言ってんだかワケわかりません。

でもまぁ、投票はして来ます。

みんなも投票しようね!
選挙権者みんなが投票したら、社会は変わるよ。

2007/04/03 火

日本最大の既得権益集団はテレビ局である。

3月27日、民放連(日本民間放送連盟)は「あるある」の関西テレビを除名する方針を決めた。
この対応は仕方ないと思うけど、軽く違和感もある。事の軽重はあれ、捏造やヤラセが横行している業界の団体が同僚会社を処分するとは…。
あ、それともこれは露見したことに対する懲罰か?

「放送界への信頼性を損ねた」と連盟はいうが、今どきTVを信じる方がどうかしている。

捏造・ヤラセという明確な形ではないまでも、空間・時間・事象をトリミングし、恣意的な解説やナレーション、BGMをつけて一方的にタレ流している時点で既に作為なのである。

自分を骨抜きにしたものに今だに踊らされている日本人や哀れ。

電波利権
ところで、
電波利権」(池田信夫)新潮社
という本を読む。

この手の本は鵜呑みにするとコワイんだけど、書いてある内容はなかなか面白い。
(少なくとも、「電波の今」を概観するにはよい本かもしれない)

本来公共財であるべき「電波」を國家による免許制としたところから、利権構造が発生した。世界の情報情勢が急展開しているのに、利権の吸い主たちは、その「カネづる」を手放そうとはしない。そのため、いま國民にとって本当に重要なインフラに割かれるべき周波数帯が、無駄なメディアやほとんど使われていないサービスに占有されている。

その代表格が、他ならぬTVである。
「利権ありき」の歪んだ構造の中にあって、時代の要請に答えられるはずがない。

ハイビジョンや地デジの嘘。
2011年地デジ一本化の嘘。
NHKの“独立性”の嘘。(國会の承認が必要ということは、少なくとも國民の負託より大事なものがあるということ)
こうした電波行政の流れも、面白いを通り越してオシリが寒くなるような話ばかりである。

ページは多くないが、NHKの権力闘争の歴史も面白かった。特に島桂次氏から海老沢勝二氏までの“政権交代”のあたりの機微はまさに奇々怪々。

なんにせよ、そろそろTV離れを進めましょ。

2007/04/02 月

箱乗り

選挙の街宣カーが(ただただ)かまびすしい週に入って来ましたが。
街宣カーでは、運動員が窓から体を大きく乗り出して(つまり箱乗りしながら)手を振っている。
あれって違法行為じゃないのか? と苦々しく眺めていたところ。

ちゃーんとピンポイントで調べている人がいました。

シートベルトについては、公選法の適用内において免除規定があるらしい。(へぇー)
箱乗りについては、免除規定は見あたらないという。

とすれば、つまりは、道交法違反である。
警察は取り締まるべきではないか?

2007/03/15 木

春は近いのか遠いのか

独占企業つーのは、価格においてもサービスにおいても、本質的に頑張ろうという動機も対象もないから、ダメなものなんである。
フェリーの食堂とか、役所とか、そうだべ?(笑)

つーわけで対抗馬というのは、…それがどんなにヘタレな駄馬だろうが、なくてはならぬ。
看板とか立って、いよいよ迫って来たなという感じがする。あっちもダメ、こっちもダメで白ける一方なんだけれども、そういうスタンスで行動を取ろうかと考えている。

日本て、「2大ナントカ」っていうガラじゃないんだろうな、きっと。
しかし本当の、真剣なツバ競り合いがなければ、日本はただ内側から腐っていくだけだろう。

2007/01/15 月

タイゾー化する子供たち

とある禅寺で座禅を組む若者、に扮したタレント。
禅僧、に扮したタレントが、警策で若者の肩を打つ。
「いてっ」
とか言って振り返る若者。

こんなCMが流れていたのを見て、胸が悪くなった。ふざけんなよ、ダメだろ、そんな態度。面白けりゃ何でもいいのかよ。
そして思った、日本の文化や心というのはもう、子供たちに継承されて行かないのだろうな。

*
…というような話の背景について解説しているのかと思って、この本

タイゾー化する子供たち」(原田武夫著・光文社ペーパーバックス)

を手に取った。
と言いつつ、なんでこの本を買ったのか全然わかんないんだけど…。

で、読んでみた。(読書欲がまったくない月間の最中なので、2カ月以上かかった)
トンデモ本だった。

日本の戦後教育は、アメリカによる資本搾取のシナリオだった。そして今、大学の学生は(補助金≒学費が税金から出されているにも関わらず)自らの方向を見失い、ある日突然成功者(=タイゾー)になることを夢見、行政や日本企業ではなくハイリスクハイリターンの外資系ナントカ企業に青田買いされていく。あるいは、単純労働の提供者くらいの能力しか開発されてはいない。いま日本に必要なのは、こうした現実に立ち向かい、国家エリートを養成することだ…。

*
そういや、あるプロ野球選手が大リーグに行くことになって、アメリカ語でスピーチしたのしないのと面白可笑しく報道されているのを見た。
なんで戦後60年も経って日本人のアメリカアレルギーはなくならないのかな、まさに植民地のドレイだな、とまた胸が悪くなったものだった。

上の方がアメリカアレルギーまみれなんだもの(というか、そう刷り込まれ続けている)、日本人全般がアレルギーにかかって地に足がつかないのも当然だわな。
いい加減に独立したらどうだろう。

と思っても、そんな思いを託せる能力あるリーダーが絶無なのは確かだ。
(少なくともアベ君は、ジミン党もろともさっさと退場してくんないかな。)

*
余談だが、「棒詠唱は新しい国造りへの第一歩だ」とアベ君はのたまった。
オレも国家防衛の枠組みを再構築すること自体には反対ではないが、「国造りの最後の(詰めの)一歩だ」であって欲しいと思う。

凶行く基本法にせよ、総務症主導のんhk受信料支払いの義務化にせよ、増税にせよ年金改革にせよ、このままほっといたら何をされるかわかったものではない。

拙速はもう結構である。
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