靖国モンダイ
靖国神社について、素朴な疑問を抱いていた。
(1)靖国神社とは何か?
(2)「A級戦犯」とはいえ、既に死刑が執行されている。なぜ中国等は問題視するのか?
(3)公式参拝に違憲判決が出ているのに、なぜ小泉氏に何らのペナルティーもないのか?
(4)内外の圧力に対して、小泉氏はなぜああも頑ななのか?
(5)つまるところ、靖国神社は是なのか非なのか?
そこで、この本を手に取ってみた。
「靖国問題」、高橋哲哉著、ちくま新書。
「感情の問題」「歴史認識の問題」「宗教の問題」「文化の問題」「国立追悼施設の問題」と章を区切り、それぞれの切り口から問題の所在を明らかにしていく。
著者は哲学者なんだそうだが、それだけに筆致は論理的であり、公平に思える。そして「素朴な疑問」への答えもおおむね書いてあるように思った。
ごくごくかいつまむと、以下のような感じ。
(必ずしも本にこう書いてあるというわけではなく、私がこう理解したということ)
(1)への答え…国民を喜んで死地に赴かせるために作られた顕彰装置である。
(2)への答え…刑を全うしていない者も合祀されている。それより以前に「A級戦犯」を問題視するのは、むしろ問題を矮小化して解決を図ろうとする中国指導層の戦略である;「A級戦犯」だけではなく、「靖国の存在」自体が真の問題である。
(3)への答え…直接合憲か違憲かを問う裁判は起こせない…らしい(起こされた裁判はいずれも「公的参拝」によって原告の利益や権利を侵害されたかどうかについての争い)。その中で「違憲」判断を示したのは2004年4月の福岡地裁判決があり、係争中が6件あるが、少なくとも「合憲」とした判決は現在までにひとつもない。ちなみに7月26日にも大阪高裁で同様裁判の判決があったが、憲法判断には踏み込まなかった。
(4)への答え…は、明確ではない。てゆーか、小泉氏の胸の中を推し量るしかない。没論理の説明しかしていないのは確か。
(5)への答え…戦争を非とするならば、靖国も非だ。興味深かったのは、歴史認識を明確にしないまま「国立追悼施設」を作っても第二の靖国となるだけだという指摘。
非常に「面白い」本だった。
*
ところで、靖国神社が国民(といっても軍属・準軍属に限られる)の戦死を美化する装置である以上、以下のような発言は無視できない(いずれも安倍晋三氏)。
「私は今も参拝している。国の指導者が国のために殉じた方に尊崇の念を表すのは当然の義務だ」(共同ニュース 2005/4/28)
「国のために命を落とした人に祈りをささげる義務を投げ出すのならばリーダーの資格はない」(北海道新聞 2005/7/28)
尊崇や祈りは、国(のリーダー)が行うものではない。
「次のリーダー」がこれじゃあ、やっぱり自民党には投票できないよなぁ。