2007/06/06 水

なめらかな?山歩きのために

ナンバ走り (光文社新書)
ナンバ走り」 矢野・金田・織田 (光文社新書)


「山と渓谷」6月号に、「ナンバ歩きでラクラク登山!」という記事が載っていて興味を駆られたので、参考文献として紹介されていたこの本を読んでみた。

ナンバとは、古武術に見られる術理。
武士の歩き方はみなこれだったというし、相撲のスリ足や歌舞伎の所作などもこの作法にのっとっている。
近くは、陸上の末續慎吾がこの動きを取り入れ、めざましい活躍をしている。

簡単には、「右足を前に出した時、右手も前に出るような歩き(走り)方」と説明されるが、これは必ずしも本質的な説明ではなく、動作の一結果に過ぎない。

キーワードは、「捻らず」「うねらず」「踏ん張らず」。
コア(体幹)を捻らないこと、遠心力に振り回されるような動きをしないこと、力が入ったり衝撃が発生するような動きをしないこと。
そのためには、例えば肋骨や骨盤、膝を柔らかく扱う必要がある。
で、それによって、「俊敏な方向転換」、「予備動作を必要としない効率的なエネルギー伝達」、「体に負担のかからない運動」が可能になる、というのである。

本書では、必ずしも古武術を研究したわけではないのに、その動きを体得している超一流アスリートの例が続々と出てくる。
マイケル・ジョーダン(バスケ)、マイケル・ジョンソン(陸上)、セリーナ・ウィリアムズ(テニス)、長島茂雄(野球)…いずれも、体軸は正対し、柔らかく、なめらかな動きで定評ある人ばかりである。
そして話は、ピアノやドラムの演奏から、日常の立ち居にまで及んで行く。
つまり、けっこう普遍的な道理が含まれているということだろう。

我々は走っている時、右足が前なら腕は左が前に出るのが当たり前だろう。こうした「捻り」の走りは西洋風のもので、「直立不動」をムネとする軍隊式の作法がもとになっているようだと著者は考察する。
こうした動きは、実は筋肉や内臓、関節に負担を与え、疲れやすいばかりか故障の原因にもなりやすい。一見合理的でも、実は不合理な動きなのである。おそらく(またもや)明治期の歪んだ西洋追従思想が、古式の極めて合理的な術理を歴史の彼方に押し込めてしまったのだろう。
「いい姿勢」とは、直立不動ではなく、スタンスはやや広く、だらりと両腕を垂らし、緊張状態にない姿勢のことである。思えばマンガ「バガボンド」などでは、こういう姿勢がよく表現されている。

さて、山へ行って急坂にさしかかると、たしかに右手を右膝に当てて登ったり、かがむ動作を織り交ぜて下ったりしている。疲れないように、関節に負担をかけないようにと、自然に工夫をしているようにも思われる。

また例えばスキーではどうか。いまカービングが主流になっているのはたまたまだと思うが、昔の「捻り」からいまの「正対」に技術が移り変わっているのは渡りに船というものだろう。より効率的な、より疲れない運動のためには、非常に示唆的な一書ではないかと思う。

2007/04/25 水

生と死のミニャ・コンガ

生と死のミニャ・コンガ
1981年5月、解禁成った中国の高峰ミニャ・コンガ(7,556m)の山頂直下で、一人が滑落したのに続き、著者の目の前からザイルで繋がれた7人が墜ちて行った。
そのドキュメントと、そののち同山で遭難した福沢卓也(「決定版雪崩学」(参照)の共著者)ら4人にも触れた鎮魂の書である。

事故の一因を、著者は次のように暗示する。
事前の準備(高所順応の方法など)に対する、柔軟性を欠いた先入観。パーティの構成や意思統一のアンバランス。段取り不足と、その段取りの遂行不足(無理な計画、無理な行動)。
明らかに、ときどきどこかで見かけるような筋ではないか…。

オレなんかは、この先7,000m峰はもちろん、3,000m峰にも登ることはないだろうけど、装備、準備、人間関係などを含めて、「事故」の蓋然性は高山でも低山でも似たようなものと思われる。その辺が、銘記すべき教訓である。

あと、著者は再三再四、「いやな予感」で死地を切り抜けている。(「ザイルで繋がれた8人」にならなかったこともその一つ)
理論や理性ばかりではなく、そうした人間天然の感覚を研ぎ澄ましておくことも、生き残るための鍵なのかも知れない。

生と死のミニャ・コンガ」阿部幹雄(山と溪谷社)

2007/03/13 火

低体温症の恐怖

凍る体―低体温症の恐怖
山スキーに凝った著者24歳の時、モンブランの氷河でヒドゥン・クレバスに墜ちる。
16時間を経て奇跡的に救出されるが、呼びかけても反応はない。体温は28℃まで下がっていた…。

最重症(体温29℃以下)になると、生還はかなり困難になるという「低体温症」。著者自身が実際に踏み越えてしまった、その生と死の境界のお話である。

前半はそのモンブランでの事故から、蘇生・リハビリを経て約1年後に再び無意根山で滑るまでの物語。後半は、低体温症の学術的な説明と特にフィールドでの対処法がまとめられている(当然、読書スピードがガクっと落ちる(^^;))。

途中でキリスト教に対する信仰告白のようなくだりや、当時の彼女(今の奥様)への感謝の言葉などが挿入されて、感動的なようなこそばいような変な感じではあるが、低体温症の恐ろしさとともに、諦めないことの大切さ、そして再び滑れることの悦びがあふれていて、読後感は爽快だった。

あとがきにはこうある。
低体温症には、夏でもかかる(震えと眠気が同時に来たら危険サインと思え)。注意を怠るな。そして、雪山には一人で入るな…。

ちなみに著者は、苫小牧東病院の先生(副院長・循環器内科)である。

凍る体―低体温症の恐怖」(船木上総)山と溪谷社

2006/10/09 月

余りにも困難な任務

山岳警備隊、出動せよ!

山岳警備隊、出動せよ! (富山県警察山岳警備隊 編) 東京新聞出版局

稜線で落ちそうになったら、富山県側へ落ちろ。そうしたら彼らがきっと助けに来てくれる…。

そうまで称賛される、富山県警山岳警備隊の手記集。
最上級のオマージュも、警備隊の側から見るとただ果てしなく困難な任務の連続だ。悪天だからと逃げることもできず、常に二重遭難の危険の隣で日夜活動を続ける。「山が好き」なだけでは到底つとまらない、ある意味山の魔力に取り憑かれてしまった男たちの物語なのである。

山の事故には、落石などの不可抗力ももちろんあるが、準備/装備不足、天候の見誤り(もしくは、見てない)、ダメなガイド(パーティの分断)など、当然避けられるべき事故も少なくない。

(この三連休も、北アを中心に死亡遭難事故がいくつか起こっているようだ。悪天になるのはわかりきっていたはずだが…。ほかならぬ富山県警も出動したり撤退したりしているようだ)

山歩きをしている以上、救助の手を絶対に煩わせないとは言えないが、最低の準備だけは怠らないようにしたいと改めて思う。

2006/10/03 火

山は因果な

ジンセーとは何か…みたいなことは若い頃はよく考えがちだけど、普通はだんだん、形而上的な悩みより現実世界への関心の方が大きくなって来て、そういう問いはいつか忘れてしまう(とゆーか、どうでもよくなる)。
感受性そのものが鈍ってくるということもあるだろう。

でも時には、そういう感性を忘れ得ない人がいて、つい冒険に出ちゃったりするわけだ。

果てしなき山稜―襟裳岬から宗谷岬へ
果てしなき山稜―襟裳岬から宗谷岬へ」 志水哲也 (白山書房)

は、ついに居ても立ってもいられなくなって、北海道の“背骨”を厳冬期に歩き通してしまった著者の記録である。

冒険野郎、さぞや強靱な精神と体力で困難に立ち向かう…!みたいなシーンの連続かと思いきや、意外に逡巡と懊悩の記録であったりする。なんのために歩くのか…いい歳してこんなことしてていいのか…風雪イヤだ、雪庇怖い…そんな率直な吐露に対しては、いわゆる“女々しい”みたいな形容さえ思い浮かぶ。

そして襟裳を発って五カ月。宗谷岬へ着いた著者の心に訪れたのは、達成感でも満足感でもなく、ただ虚脱感だった…。

ゴールに何かがあるのではなく、歩くことそのものが目的である。
というのは、すべての山行に共通する気分ではないだろうか。

どんなに道が険しくても、文字通り死ぬ目に遭っても、頂上(ゴール)に立った途端に心は「次」を向いている。

著者はあるとき夢に見る。
誰かが「死に場所を探しに行くみたいだなぁ」と言った。
「いや、生きる場所を探しにいくんだ」と、僕はしっかりと言い返した。

つくづく因果な趣味だよなぁ。

*
続いて、カミさんが同時に借りてきた「エベレストママさん」を読了、「ミニヤコンカ奇跡の生還」も開いたら読み始めちゃったんだけど、まぁーとにかく人が死ぬこと死ぬこと。墜ちては死に、雪崩に遭っては死に、果ては自身が両の指や足を失ってもまだ山をやめられない。

因果だァ。

2006/07/10 月

点の記

劒岳―点の記
虚構はあんまり好きでないんだけど、新田次郎サンは波長が合うみたいで、たびたび読んでます。今回は、
劒岳―点の記 (新田次郎) 文春文庫。

点の記とは、山の頂によく設置されている「三角点」の設定記録のこと。1888年以降の点の記が国土地理院に保管されているそうですが、「点」を追い求めて道なき道を開いた測量官たちの、まさに命懸けの仕事の証なんです。
「地図に載っているのに今は廃道になっている」からって軽々に文句を言ったらバチが当たりますね(^^;)。
(もっとも、今の2万5千図の登山道などは航空写真を参考に描かれているようですが)

ところでこの小説は、明治40年、柴崎芳太郎という測量官(実在)が、険峻であり、また宗教上の理由で登ってはならないとされていた劔岳に苦難の末に登頂を果たし(この時、山頂で遠く奈良時代のものと思われる錫杖と剣が発見され、「初登」ではないことがわかった)、立山一帯の地図作製に目途をつけた物語です。
さて登頂は果たしたものの、三等三角点設置のための資材を担ぎ上げることができず、四等三角点を設置するにとどまりました。ところが四等…は、「点の記」としては残らないのです。そこで新田氏が勇躍登場し、かれの功績を現代によみがえらせた、というわけなんですね。

やはり、綿密なファクトの積み重ねによる物語の密度と迫力は魅力的です。最後まで一気に読みました。

*
  • 測量の基準点である三角点には一等~四等の4種類があり、埋設されている柱石の大きさで区別がつきます。一等:一辺180mm、二等/三等:一辺150mm、四等:一辺120mm。(参照
  • 劔岳の標高について、「山と渓谷」誌が「あと2m何とかなりませんか?」という記事を掲載したことがあります(2004年7月号)。当時2,998mと言われていたので、あと2mで3,000m峰だ、と。その夏に三等三角点(それ以前は四等)が設置され、GPSなども利用して精密な測量が行われた結果、標高2,999mで決着がついているようです。(あと1m(^^;))
  • 来年7月が劔岳測量100周年に当たります。

2005/05/09 月

ヒグマ

ヒグマ
ヒグマ増補改訂版 (門崎允昭他) 北海道新聞社

冒頭の一行は、「クマによる人身事故を避け生還するためには「鳴り物と鉈」の携帯が必須条件である」。つかみはおっけー、という感じである。

ただ、「山でクマに会う方法」で推奨されている「ヘタに抵抗しない」を真っ向から否定している辺り、学説的に対立する人なのかも知れない。私としては、鉈持って戦う方に一票入れたい気がする。(実際その場に行ったら「首をおさえてうずくまる」しかなさそうな気もするが…(^^;))

自然は自然のままにという立場なのか、人間よりクマの方を大事に思っているニュアンスが伝わって来る。まあ、それもまたよし。

2004/10/06 水

新版 北海道樹木図鑑

新版 北海道樹木図鑑
新版 北海道樹木図鑑を購入。

木はよいです。先日台風で倒れた、好きな風景の木は、ハルニレ(エルム)でした。

最初はちょっと調べにくい構成かな?と思ったのですが、葉っぱ、樹形、樹皮、花、実などの写真が豊富で、なかなかよさそうです。

Amazonでは本日現在在庫切れになっていますが、JRタワーの旭屋にはあと2冊は在庫があります(笑)。

2004/08/29 日

クマにあったらどうするか

クマにあったらどうするか―アイヌ民族最後の狩人姉崎等
クマにあったらどうするか -アイヌ民族最後の狩人姉崎等 (姉崎等) 木楽舎

ヒグマには、「止め足」という行動があるそうだ。ハンターがクマの足跡を追って行くと、それがふつっ、と消えてしまうことがある。ある所まで行ったら、自分の足跡をなぞって戻り、ハンターにわからないように横に逸れて逃げて行くというのだ(手負いなどの場合は、途中で待ち伏せをしていることもあるという)。非常に知恵のある動物なのだ。

この書は、単独行でヒグマを40数頭も仕留めたという著者の語りを、アイヌ関係の映像作品を多数手がけている片山龍峰という人が聞き書きしたもの。「クマが狩猟の、いや人生の師匠」と言い切る著者の貴重な体験と見識には、固唾を呑むほどの迫力がある。

さてしかし。こういう本を読むと、本を読むという行為にふと疑問を抱いてしまう。「体験」を活字で追体験して、わかったような気持ちになることに、何ほどの意味があるだろうか?

2004/06/27 日

山でクマに会う方法

山でクマに会う方法―これだけは知っておきたいクマの常識
山でクマに会う方法 -これだけは知っておきたいクマの常識 (米田一彦) 山と渓谷社

北海道で山に登るんなら、クマに関する知識も仕入れておかなきゃね、るんるん♪ と言いつつ買って開いてみたら、いの一番に「ヒグマについてはほとんど扱っていない」と書いてあるではないか…ガッカリ。それもそのはず、ツキノワグマの研究者さんが書いた本なのである。

まあ気を取り直して読んでみる。普通なら「会わない方法」になるだろうが、研究者なら会わないわけには行かない。文字通り、いつ、どこで、いかようにしたらクマに会えるか?という本なのであった。ひるがえって、会いたくない人はその裏返しを実践すればいいことになる。
いわく、クマは臆病な生き物なので、こちらの存在を知らせればよい。ベルや鈴をつけて歩く。またいわく、クマのいる所には近づかない。新しい糞や足跡、目撃情報に接したら速やかに下山する。さらにいわく、早朝や暮れ時にクマは活動する。いつも以上に食料を求める秋深く、春の頃はまた危険、うんぬん。
さて一方クマに出会ってしまったらどうするか。まず怯まない。少し距離があるようなら、相手に声をかえて人間がいることを知らせる。じっと相手の目をみつめ、ゆっくりと後ずさりする。時々相手が逃げ出す隙を作ってやる。もし襲われたら、ヘタに抵抗するよりは首を手で押さえ、うつぶせになる。なお、クマは足が速いし(一説には100mを7秒で走る能力があるという)、木登りもできる。

このほか、木に登っては夢中になって木の実を食べあさるとか、越冬のためにとんでもなく狭い木のウロに入り込んだりするとか、記述されたクマの生態は微笑ましくさえある。正しいつきあい方を知って、共存共栄を図りたいものである。
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