生と死のミニャ・コンガ
1981年5月、解禁成った中国の高峰ミニャ・コンガ(7,556m)の山頂直下で、一人が滑落したのに続き、著者の目の前からザイルで繋がれた7人が墜ちて行った。
そのドキュメントと、そののち同山で遭難した福沢卓也(「決定版雪崩学」(参照)の共著者)ら4人にも触れた鎮魂の書である。
事故の一因を、著者は次のように暗示する。
事前の準備(高所順応の方法など)に対する、柔軟性を欠いた先入観。パーティの構成や意思統一のアンバランス。段取り不足と、その段取りの遂行不足(無理な計画、無理な行動)。
明らかに、ときどきどこかで見かけるような筋ではないか…。
オレなんかは、この先7,000m峰はもちろん、3,000m峰にも登ることはないだろうけど、装備、準備、人間関係などを含めて、「事故」の蓋然性は高山でも低山でも似たようなものと思われる。その辺が、銘記すべき教訓である。
あと、著者は再三再四、「いやな予感」で死地を切り抜けている。(「ザイルで繋がれた8人」にならなかったこともその一つ)
理論や理性ばかりではなく、そうした人間天然の感覚を研ぎ澄ましておくことも、生き残るための鍵なのかも知れない。
そのドキュメントと、そののち同山で遭難した福沢卓也(「決定版雪崩学」(参照)の共著者)ら4人にも触れた鎮魂の書である。
事故の一因を、著者は次のように暗示する。
事前の準備(高所順応の方法など)に対する、柔軟性を欠いた先入観。パーティの構成や意思統一のアンバランス。段取り不足と、その段取りの遂行不足(無理な計画、無理な行動)。
明らかに、ときどきどこかで見かけるような筋ではないか…。
オレなんかは、この先7,000m峰はもちろん、3,000m峰にも登ることはないだろうけど、装備、準備、人間関係などを含めて、「事故」の蓋然性は高山でも低山でも似たようなものと思われる。その辺が、銘記すべき教訓である。
あと、著者は再三再四、「いやな予感」で死地を切り抜けている。(「ザイルで繋がれた8人」にならなかったこともその一つ)
理論や理性ばかりではなく、そうした人間天然の感覚を研ぎ澄ましておくことも、生き残るための鍵なのかも知れない。
「生と死のミニャ・コンガ」阿部幹雄(山と溪谷社)
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