点の記
虚構はあんまり好きでないんだけど、新田次郎サンは波長が合うみたいで、たびたび読んでます。今回は、
劒岳―点の記 (新田次郎) 文春文庫。
点の記とは、山の頂によく設置されている「三角点」の設定記録のこと。1888年以降の点の記が国土地理院に保管されているそうですが、「点」を追い求めて道なき道を開いた測量官たちの、まさに命懸けの仕事の証なんです。
「地図に載っているのに今は廃道になっている」からって軽々に文句を言ったらバチが当たりますね(^^;)。
(もっとも、今の2万5千図の登山道などは航空写真を参考に描かれているようですが)
ところでこの小説は、明治40年、柴崎芳太郎という測量官(実在)が、険峻であり、また宗教上の理由で登ってはならないとされていた劔岳に苦難の末に登頂を果たし(この時、山頂で遠く奈良時代のものと思われる錫杖と剣が発見され、「初登」ではないことがわかった)、立山一帯の地図作製に目途をつけた物語です。
さて登頂は果たしたものの、三等三角点設置のための資材を担ぎ上げることができず、四等三角点を設置するにとどまりました。ところが四等…は、「点の記」としては残らないのです。そこで新田氏が勇躍登場し、かれの功績を現代によみがえらせた、というわけなんですね。
やはり、綿密なファクトの積み重ねによる物語の密度と迫力は魅力的です。最後まで一気に読みました。
*
劒岳―点の記 (新田次郎) 文春文庫。
点の記とは、山の頂によく設置されている「三角点」の設定記録のこと。1888年以降の点の記が国土地理院に保管されているそうですが、「点」を追い求めて道なき道を開いた測量官たちの、まさに命懸けの仕事の証なんです。
「地図に載っているのに今は廃道になっている」からって軽々に文句を言ったらバチが当たりますね(^^;)。
(もっとも、今の2万5千図の登山道などは航空写真を参考に描かれているようですが)
ところでこの小説は、明治40年、柴崎芳太郎という測量官(実在)が、険峻であり、また宗教上の理由で登ってはならないとされていた劔岳に苦難の末に登頂を果たし(この時、山頂で遠く奈良時代のものと思われる錫杖と剣が発見され、「初登」ではないことがわかった)、立山一帯の地図作製に目途をつけた物語です。
さて登頂は果たしたものの、三等三角点設置のための資材を担ぎ上げることができず、四等三角点を設置するにとどまりました。ところが四等…は、「点の記」としては残らないのです。そこで新田氏が勇躍登場し、かれの功績を現代によみがえらせた、というわけなんですね。
やはり、綿密なファクトの積み重ねによる物語の密度と迫力は魅力的です。最後まで一気に読みました。
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- 測量の基準点である三角点には一等~四等の4種類があり、埋設されている柱石の大きさで区別がつきます。一等:一辺180mm、二等/三等:一辺150mm、四等:一辺120mm。(参照)
- 劔岳の標高について、「山と渓谷」誌が「あと2m何とかなりませんか?」という記事を掲載したことがあります(2004年7月号)。当時2,998mと言われていたので、あと2mで3,000m峰だ、と。その夏に三等三角点(それ以前は四等)が設置され、GPSなども利用して精密な測量が行われた結果、標高2,999mで決着がついているようです。(あと1m(^^;))
- 来年7月が劔岳測量100周年に当たります。
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