シベリウスの謎
手許にあるバイブルのシベリウス交響曲第7番の項に、こんなくだりがある。
その「謎」がどうにも気になるので、伝記なるものを読んでみた。
…1924年、58歳で“第7”を完成してからさらに5年間、29年までは創作生活が続くが、それ以後1957年に亡くなるまでの30年弱というもの、作曲の筆を一切とらなくなった…(中略)…原因は謎に包まれている。
その「謎」がどうにも気になるので、伝記なるものを読んでみた。
「シベリウス―生涯と作品」 菅野浩和 (音楽之友社)
偉人の伝記だなんて、子ども時分に戻ったような気がするけど(いや…スイマセン、子ども時分にもろくに読んだことがありませんですけど)、なかなか面白いもんですな。
故国フィンランドが、スウェーデンとロシアに挟まれて長く微妙な位置に追いやられていたとか(自国の言葉も思うようにしゃべれなかったらしい)、その民族意識発揚の流れの中で民族叙事詩のカレワラ(カレヴァラ)に取材した作品を次々にものしながら、国際的・歴史的な作曲家に育って行ったなどの話は、それ自体一編の大河ドラマを追うような気分にさせられる。
また、伝記と作品論が対になっているのもこの本の特徴なんだけど、キチっと作品の歴史的意義づけを説明してくれるのも有り難い。なにしろ名曲とされる交響曲第4番なんて未だによくわかっていないので…(^^;)。
一方、冒頭の「謎」については、結局この本でも謎のままだ。
早くから認められ、国家から年金をおくられたことが却って創作意欲の減退につながった…
大物になり過ぎて、外とつきあうのが煩わしくなった…(もともと社交的ではあるが、器用なタイプではなく創作に没頭したい職人肌…的な人物だったようだ)
年いって自己批判精神が強くなりすぎ、書く曲書く曲気に入らなくなってしまった…
などの理由が示唆されるが、確証はない。
この本の執筆時点(再版の1976年頃?)に、晩年の書簡集や日記をもとにした本(原典はスウェーデン語)の英訳が始まっているのでそれを待ちたい、ということだったが、1982年に書かれた巻末の補記にもその辺のことは書かれていない。
その点、もう少し新しい本にも当たってみないと、というところである。
あと、長く「ヤン・シベリウス」と呼んで来たんだけど(だって、その方が北欧ぽいし)、フランス風に「ジャン・シベリウス」と呼ぶのが妥当であることや、フィンランド語では原則として語頭にアクセントがあるそうで、「シベリウス」と呼ぶのが本来であることなどは、へぇー、を超えてむしろ青天の霹靂であった。
イメージ変わっちゃうなぁー…。
Comments
お久しぶりです。「シ」ベリウスっちゃあ、娘が入ってる都立高校の管弦楽部でフィンランディアをやりました。それは出だしを思いっきり外して父兄のオーディエンスも泣きそうになったんでしたが、とても印象深いフィンランディアでした(-_-)代々よく取り組む曲(3年に1回はやってる)みたいだし、2番がメインだった年もあったようなのでこの本を紹介しておこうかなと思いましたです。どうでもいいですが娘はファゴです。
Posted by 皿 at 2011/05/18 02:41
この本かなり古いので、オレも次に読もうと思っている「シベリウス - 写真でたどる生涯」という本をお薦めします。そちらも図書館で借りた方がよさそうだが。
しかし高校生でファゴとか2番とか。いいですな。
Posted by H氏 at 2011/05/18 16:24