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2010/06/21 月

未来のA代表

のっけから“予想”が外れていて、しかも金曜になったらさらに大きく外れるかもしれないニオイまで漂い始めてるけど、まぁ、いい方に外れてるんだからいいっしょ(ぉぃ笑)。
ところでこういう本を見つけたので読んでみた。


「言語技術」が日本のサッカーを変える (光文社新書)
「言語技術」が日本のサッカーを変える 」 田嶋幸三 (光文社新書)


著者は往年の日本代表FWであり、ユースの代表監督であり、JFAアカデミー福島の初代スクールマスターであり、現・日本サッカー協会の専務理事であり、要するに日本サッカーのエライ人なんですな。

先日読んだオシム氏の本が“外から見た日本(サッカー)の問題点と課題”を鋭く指摘したものだとすれば、これは日本人が内から(と言ってもドイツへの留学体験が色濃く反映されているが)観た自己分析の書である。ただし、興味深いことに論点はほとんど一致している。例えば、自ら考え、決断し、伝達・説得する能力の不足である。

著者は、指導する中で子どもたち(選手)の次のような姿を目撃する。

待ちの姿勢。
プレーに対する考えのなさ。
生活面のだらしなさ。etc。

そしてこれらは一人サッカーのみの問題ではなく、リーダーが不在である、判断力が不足している、社会的責任感が欠如している、といった日本の問題点とどこか通底しているのではないか、という。

これらの要因のひとつとして著者が考えるのが、「言語技術」の不足である。

もちろん、言葉のできる/できないが問題なのではなく、明解に言語化できるほど考え、論理化しているか、できるか、ということである。

ある局面でどのような判断をするか、なぜそのプレーを選択するのか、どのように相手(チームメイトや教えている子どもたち)に伝えていくか…。
子どもたちのみならず、指導者にも、その原因・理由・根拠などを明確に言語化し、伝達する能力が必要である、とする。

JFAアカデミーでの実践例を交えつつ、そのことの重要性と解決へのステップを示したのがこの本である。

学校サッカーやトーナメント戦など、日本のサッカーにとっての弊害に触れている点なども含めて、面白い本だった。



ところで本の中に、サッカーの歴史を語るくだりがある。

その原型が生まれたのは、日本でいうなら鎌倉時代とかである。娯楽の要素もあったかも知れないが、村と村同士のいさかいの調停などのために行われた。村の入り口の門をゴールとし、そこへボール(牛の膀胱とか)を通せば勝ち。ボールが来ていない場所では殴り合い・蹴り合いなども起こりがちで、死者も出たという。

また、例えばドイツで最初のクラブチームができたのは、日本でいうなら江戸時代末期とかである。

こういうのを読むと、日本人の遺伝子にサッカー的なものがあったかな、と思う。蹴鞠みたいな貴族の遊びは別として、庶民が血まなこになるようなボールゲームがなにかあったっけ。

なかったとすると、ヨーロッパと比べるとかれこれ数百年のギャップがあるということになる。それを埋めるのが21世紀の知恵と情熱と情報だと思うが、さてどうでしょうか。

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