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2010/03/01 月

イギリス語、話せますか?

ニホン語、話せますか?
ニホン語、話せますか?」 マーク・ピーターセン (新潮社)


明治大学政治経済学部のアメリカ人先生(比較文化・比較文学)による、アメリカ語ネイティブから見た日本のアメリカ語事情に関するエッセイ集。

著者が直接日本語で書いている本だと思うけど、まず、日本人が書くのよりも微妙に鋭い(舌鋒ならぬ)筆鋒が面白い。

「…のを見ると殴りたくなる」、「ブッシュ(子)のアホ度」などの直截的な表現のほか、ゴマカシ、デタラメ、阿呆らしい、ガサツだなど、ナマっぽいというか、日本人だったらこうは書かないのではないかと思われる単語がけっこう目に入るのである。

これだけ書ける人なら日本語の習熟度の問題とは違うだろうし、この一種特徴ある文体に、まずアメリカ的な指向を感じる。

本の内容は、日本で見られる報道、文学、映画や日頃の生活の中に横行している“ヘンなアメリカ語(やその訳文)”を、

「CAN YOU CELEBLATE」という歌のタイトルがとても気持ち悪い、
中学英語教科書がこんなだったらアメリカ語嫌いにもなるわい、
高見浩という翻訳家(「ハンニバル」シリーズなどを訳した)がとてもいい、原作のココロをよく汲み取れる訳者がようやく出てきた、

…という具合に、ヤリ玉に上げたり誉めたりするものである。

日本語とアメリカ語の間には深いクレバスが横たわっているのよ…という話ではあるが、結局言葉というのは社会的な背景や個人の生活背景と不可分なものであり、なかなか一対一で引き写せる(翻訳できる)ものではないということだろう。

*

以下はメモ。
  • 村上春樹の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はいずれ読もうと思っていたんだけど、この本でコキ下ろされているのでやめた(笑)。
  • you とか will とか could などに潜む微妙な語感(アメリカ人ネイティブがどう感じるか)の説明はたいへん勉強になる。
  • 日本人はアメリカの話題をけっこう知っていると思うけど(なにしろ植民地だからな)、アメリカ人は日本のことなどロクに知らない。「東洋のベルギーくらいにしか思っていない」という。

    この喩えにも笑っちゃったが、笑っちゃうけどやがて哀しき米日関係、な本なのだった。

*

さらに以下は、イギリス語(アメリカ語)に関する自分メモなので読まなくてよいです(笑)。
「英語」と、日本では一般に呼び慣わされている。これは「英吉利語」の略に過ぎないのではあるが、他国の言葉を呼ぶのに英知や英雄に通じるこの文字を使い続けているとは何事か。「米」だって同様である。欧米、特にアメリカに対する日本の卑屈に拍車をかけるようなものではないか、けしからん。

と、確か本多勝一氏が言っていて、激しく同意した覚えがある。

他の言語はと見ればフランス語とかアイヌ語というように主として国名や民族名がそのまま(もちろん日本語への音写だが)使われるケースが多いのに、なぜに英語だけ(独語とか露語とか略語として言うことはあるにせよ)特別扱いなのか。けしからん。

というわけで、当ブログでは英語といわずイギリス語またはアメリカ語と言って来た。(偏屈だからな)

もっとも、語源的に見るとイギリス語というのも誤りで、イングランド語(いわゆるイギリスの一地方)が正しいらしい。さらに「イギリス」は日本での通称であり、国際的に通用する言い方ではない。難しいところである。



話は変わるが、日本人は義務教育でイギリス語を習う。なのになぜ大半はイギリス語を解さないのか、とよく言われる。

これは答えがはっきりしている。必要ないからだ。

日本では幸いにして、イギリス語圏の文物はちゃんと翻訳してくれる人がいて、提供してくれるところがあった。先進国で起こっている一通りのことは日本語で知り得たし、勉強もできたのだ。

一方、例えばアフリカや東アジアなどの発展途上国ではどうか。かの国の民衆がブロークンながらイギリス語を口にしているのをTVなどで時折見かけるが、それは外の情報を得たり、なにかを伝えるためには、世界で最も多く使われているというイギリス語が切実に必要だからだろう。

日本でも、より深く学びたい人、イギリス語圏で生活もしくはコミュニケーションしたいと切実に思う人は真面目に勉強するが、一般的・本質的には上達願望はないのである。

もちろんそれはネガティブな話ではなく、母語で生き、母語を通せるならば、幸せなことなのである。

が、コンピュータ文化とインターネットの普及で、この様子は少しずつ変わろうとしている。

ニュースや新製品などの情報がリアルタイムで入ってくる今、他人の翻訳を待っているヒマはなくなった(電子翻訳の研究も進んではいるが、実用レベルには達さないだろう)。

また、各種のWebサービス(例えばGoogle・Flickr・Twitterのような)やソフトウェアなどについて調べごとをしていても、日本語マニュアルがない、あっても途中までというケースが多い。使いこなしたいと思えばイギリス語のドキュメントを読まねばならない。

リアルでも国際化の波は進んでおり、どこかのリゾート界隈じゃないけども、海外からの観光客を邪険にしては北海道経済の浮沈に関わる。

アメリカの一国覇権主義にはカゲリが見えるとはいえ、世界はイギリス語を軸に回っている。イギリス語が「必要」な状況は着実に押し寄せて来ているのだ。



一方で、小学生のうちからイギリス語を…という動きがある(来年の4月から必修化らしい)。だがこれは、植民地根性丸出しで痛ましいとしか言いようがない。

親が日本語しか解さないのに、イギリス語が上手になるだろうか? そんなヒマがあるんなら、もっと日本の文化や社会に学んだらいいのではないか? 「必要」に応じてイギリス語を学ぶのはそれからでも全然遅くない。

日本というアイデンティティーなくして、伝えるも交渉するもないのである。

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Comments

このままいくと、親会社が代るので、北京語を教えておいたほうがよいのではないだろうか。
ごもっともで…(^^;)。

先に某イシハラ氏が「国家を背負っていない者が勝てるわけがない」と丸出し根性で語っていたようですが、今回はちょっと怒る気になれなかった。

…そんなところから国粋主義が始まっていくのかも?(^^;)
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んだし、仕事兼研究的興味が湧いたので、この本、是非読んでみたい。

英語を使う必要がないから身に付かないとは、まさにその通りだと思います。

刺激をありがとう。

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