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2009/07/16 木

拉致問題を考える

拉致―左右の垣根を超えた闘いへ
図書館への入荷を待っていたらちょっと時機を逸しちゃった?感があるけど…。
(その後将軍様の健康問題や核、ミサイルの件が出ている)

蓮池透さんといえば、かつての「家族会」事務局長として、ちょっと迫力のある風貌とも相まって、対北「強硬派」の急先鋒であるようなイメージがあった。

けれども最近は、世論の流れとは逆方向と思われる「融和派」に転向?しているという話を聞いて(新聞で読んだんだったかな)、なぜだろう、そしてその背景にはなにがあるのだろう、というのが知りたくなった。

で、今年5月刊のこの本。わずか100ページあまりのむしろ小冊子だが、考えさせられる中味だった。

拉致―左右の垣根を超えた闘いへ」 蓮池透 (かもがわ出版)
2つの部分に分かれている。

前半は、政府・外務省がいかに対北朝鮮施策を誤って来たかがつづられている。(蓮池さんは明確に「失態」と書く)

ひとことで言えば、無策で行き当たりばったり。こまかいところで北朝鮮を欺くかのごとき対応が続いて、外交上の信頼性を失い、膠着状態を作り上げてしまった、ということだ。

そういえば似たようなニュアンスは、対ロシア、対中東(対アメリカ)、対中国・対韓国(領土問題)などにも感じられるところである。

要するに日本は理念理想(敢えて深謀遠慮といってもいいが)とか、したたかな行動力とかいうものをもう持っていないのだ。このまま国際社会でのプレゼンスが下がって行くしかないと思えば暗澹とした気持ちになる。

さて、本の後半は、ではどうするかということだ。

そこで、日本としては「過去の清算」をしなければならないという話(これには禿同である)と並んで「融和」が出てくる。現状では互いに強硬には強硬をという水掛け論しかない。冷静に戦略を立て直せと氏はいう。経済制裁などを緩和する代わりにモマエらもやることをやれと言うべきであり、日本が先に譲歩することが打開への道だ、と。
(「強硬」路線が、偏狭な日本のナショナリズムと結びついているのも気になるという。本の主題がむしろそのへんにあるのは、副題の「左右の垣根を…」に現れていると思う)
(その点、核やミサイルへの脅威と拉致問題が一体に扱われていることも問題を難しくしているのかも知れない)

少し頭のタガが外れたげな相手国家に対して先に譲歩するのは確かに不安だが、現状ママでは間違いなくなんの展望も開けないだろう。いかにオトナのふるまいができるかが(国際的な支持を得られるかも含め)カギだという辺りには納得できる。

時間がないのに実行できる人間がいない。こうしたもろもろの停滞を打破するキッカケに、政権交代がなればいいと思う。

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