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2009/05/14 木

「白川静」

衝撃の本であった…。

白川静 漢字の世界観 (平凡社新書)
白川静 漢字の世界観」 松岡正剛 (平凡社新書)

買うべきか、買わざるべきか、しばらく悩んで結局買った。
白川静氏の本(字統・字訓・字通)はいずれしっかり読もうと思っていて、それに先立って「かいつまんだ」解説書を読まなくてもいいのではないか、と思ったからなのだった。
しかし著者はあの松岡セイゴォ氏。気になる。ある時、つい買ってしまったのだった。

一読して、ヤラレタ…というか打ちひしがれた。

第一章などで紹介されている白川氏の「漢字」や「詩経」という本(いずれも岩波新書)はむかし、出版直後ではないがオレも読んで、大学で漢字の勉強でもするかと思い立った原点のようなものだった。(ちなみにいまも部屋にある)

だがセイゴォ氏は、その「漢字」を、衝撃の書という。漢字の成り立ちを根底から考え直すというばかりでなく、東洋思想…いや人類史上に打ち立てられた金字塔というほどの内容が含まれていた、と。しかもセイゴォ氏のみならず、みんな衝撃をもってその本を迎えたというのだ。

へー…漢字の面白さや奥深さを知らせる軽い啓蒙書じゃなかったのか…。

それが、この本「白川静」を手に取っての第一の衝撃なのだった。


さて、内容を読み進める。

現代も表意文字として命脈を保っているのは漢字くらいで、その旺盛な生命力がまずユニークである。そしてそれは現在だけでなく太古の「思考」にまでつながっている。

漢字(甲骨文や金文)は、呪能・巫祝・権力と不可分に結びついている。言ってみりゃ漢字は思考そのもののタイムカプセルであり、その成り立ちをひもとくことで考古学じゃないけれども大昔の習俗や考え方を知ることができる。

話は日本との関係にも及んでいく。「詩経」と「万葉集」を同じ土俵で読むことの意義や、漢字をわがフトコロに入れて栄養にしてしまった日本人のイトナミのみごとさ、云々。

んー…なんと大きな考え方であろうか…。

少なくとも、この字はこういう意味があるんだよ、面白いでしょう、的なハナシではなかったのである。

実はオレ、大学の卒論テーマは「中国の神話」。と言いつつ、文献をちまちまと調べてまとめた程度の「お茶をにごす」「お座なり」「テケトー」という単語を出すのも恥ずかしい内容。(呆れて卒業さしてくれたんだと思うけど)

どう転んでも大向こうを唸らせる卒論が書けるハズはなかったが、せめて先人「白川静」を真剣に読み解くくらいのもの…つまり正にこの本のようなものを書くべきはなかったか。

それが、手に取っての第二の衝撃なのだった…。


まあムリだわなあ、せめてあと500倍くらい文献検索してれば…(^^;)。

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