江戸ユートピア論
人口100万人以上と推定され、当時世界有数の大都市だった江戸。
それほど大勢の人が集まりながら、同時代のパリやウィーンが屎尿タレ流し・汚臭たちこめまくりの汚都市だったのに比べ、ごみや糞便臭はほとんどなかったという。
なぜか?
それは、江戸住人のリサイクル意識が発達していたから。
それほど大勢の人が集まりながら、同時代のパリやウィーンが屎尿タレ流し・汚臭たちこめまくりの汚都市だったのに比べ、ごみや糞便臭はほとんどなかったという。
なぜか?
それは、江戸住人のリサイクル意識が発達していたから。
「大江戸リサイクル事情」 石川英輔 (講談社文庫)
もちろん、彼らが「リサイクル意識」を持っていたわけではなく、手に入るものを徹底して使い切る生活をしていただけのことである。
例えば照明、燃料、服飾素材、肥料(糞便である。それも農民が我先に調達しに来る“売り手市場”だったという)…いずれも過去数億年蓄積された化石燃料を100年かそこらで燃やし尽くすような営みではなく、1年、長くても2年太陽の恵みを受けた植物から調達され、しかもほとんど棄てるところなく徹底して使われた。
経済成長はほとんどなかったが、自然破壊もなく資源枯渇の心配もなかった。
今と比べて不便で貧しかったかも知れないが、なんと豊かなことよ。そういう本である。
ただ、筆者も指摘することだが、そんな安静な生活を羨ましいと思ったとしても、我々はその頃の生活に戻ることはできない。
石油資源などが本当に枯渇しちゃったり、大災害や人間の生物学的限界(ここ100年余の環境変化に人間は適応できていないらしいですぜ)、経済の大変動などがあって、否応なくそうせざるを得なくならない限りは。
せいぜい、もっとムダを出さないようにしましょうよみなさん…という素朴な感想が残るのみである。
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そこで(またアイケイダ氏のブログだが)一つの話題を思い出した。
「マルクスもケインズもシュンペーターも、資本主義が拡大するとともに収穫は逓減し、長期停滞がやってくると予言した。その予言はこれまでのところ外れたようにみえるが、今回の経済危機はもしかすると、先進国では資本主義の鞘が取り尽くされ、長期停滞に入る前兆かもしれない。」
というもの。
文明や文化が、もう少しかみ砕けば知恵や技術がリニアに進化し続けるというのは幻想だ、と思う。
現代社会の「熱的死」が、新しい(そして旧い)人間的生活を思い出すキッカケになるかもね。
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なんにせよ、リサイクルや省エネの欺瞞は冷ややかなワニ目で眺めるしかなく、なにかを節約したり削減しようなんてムリである。二酸化炭素削減で温暖化防止? タワ言である。
余分な熱量を使用可能なエネルギーとして取り出すとか、なにか前向きな活動に対してカネや労力を振り向けた方がよい。と思う。
最近それに類したもう一つの話題を見つけた。
「温暖化に有効?鉄分の投入と藻の増殖」
というナショナルジオグラフィックの記事。タイトルは「温暖化防止に」または「温暖化対策に」とすべきだろうけど。
光合成には鉄分が重要だが、海にはあまり含まれていないのだそうだ。じゃ鉄を「藻の肥料」として海に投入したらどうだ! という実験が行われているという。
いいじゃんいいじゃん。
が、文中にあるように結果は予期しないものだった。(ある意味、やっぱそうかくらいなものだが)環境を人間が制御しようったって難しいわけだ。
人間が活動していることそのものが既に問題なわけなんで、実際につまづくまで突き進むほかはない。
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