「安さ」とは何か
先日、スーパーT社が大規模な値下げ企画を実施する、という報道があった。原油や穀物などの原材料、そして追い打ちをかけるように小麦粉が3割もアップするとあっては、さすがの“高品質路線”も軌道修正を迫られたということらしい。
北海道内では、GMSのA社やS社、スーパーB社などが既に「価格据置宣言」を出しており、これらに対抗する意味もあるだろう。
なにしろモノは安いに越したことはない。
そもそもスーパーは“安さが売り”である。
だが…。
安さをどんどん追求して行けば、利益率は下がり、企業体力が削がれる。もちろん売り手だけが痛い思いをするわけではなく、取引先各社にも一部負担を要求することになる。極端な例では、例の「畜肉偽装事件」も、売り場からのコスト要求が底流にはあるだろう。それでなくとも、商品の品質や量目が落ちて行くことにはつながりかねない(実際にそうなっている)。また一律的なコスト削減は、社員・パート・取引先企業の「やる気」も削いでいくことになる。
そうしたクオリティの低下は、ひいては顧客サービスの低下にもつながっていく。
長い目で見れば、“安さは諸刃のやいば”にほかならない。
一方、我らがC社は、この動きに対しては静観の構えである(PB(Private Brand)商品はそれなりに低価格維持基調なんだけど)。
長い目で見れば正しい態度である、とオレごときは思うんだけど、他社が低価格を打ち出している以上、黙って手をこまぬいているわけにも行かない。いかに価格で対抗して行くか、あるいはいかに価格で対抗できているように見せるか(つまりは「安さ感」の追求)は避けられない課題となっている。
そこでこの本。
ヒントでも載っているかと思って安土敏氏シリーズである。
結論から言うと、「安さとは何か?」は教えてくれるが、もっと卑近な関心「安さってどう作るの?」については(社会的な枠組みとかの大きな話ししか)教えてくれないのであった(´Д`;)。
もっとも、示唆は随所にある。三点ほど挙げてみる。
まずは、「安さとは何か?」。他店の同じものより低価格であるか、他店の同じ価格の商品よりも品質がよいか、どちらかである。要は相対的な問題であって、ひとつの「安さ」というものは存在しない。
二点目は、「スーパーマーケットとは“そもそも安さが売り”な店のことではない」という驚くべき指摘である。
アメリカ国で生まれたスーパーマーケット、その原点に立ち返ってみると、それは「近所にあって普通の食料品を売る店」である。(前に読んだ「創論」でも説明されている)
目玉として値引き販売も行うし、企業活動として安さを追求するのは当然のことだが、それは実は本質ではない。「普段使いの食品」という切り口のもとでは、安さだけではなく、提供のタイムリーさ(新鮮さや旬)、関連性の提示(同一商品の選択肢やクロスMD)、食生活提案(メニューやレシピ)など、さまざまな要素が付加価値(競争力)となり得る。
本質部分を忘れてスーパーでござい、とやっても、正道を外しているんだからうまくいくはずがない、ということだろう。
“安さ”一辺倒ともいえるスーパーにはM社やO社、J社のような店もあるが、グロサリーが他店より安いのはいいとしても、生鮮品の品質はちょっと買う気にならないレベルである…というのはその一例だろう。短期的にはよくても、長期的・安定的に優良顧客を誘引できるかは疑問の残るところだ。
もう一点は、「日本ではそもそもなぜ物価が高いか」の原因追及である。
曰く、「規制」(行政が正しい競争を阻害している)、「一極集中」(「道路」はすなわち東京への道である)、「法人」(とくにバブル期に顕著に見られた、「社用」の料金体系)の3つがそれであるという。
よくぞ言ってくだすった、という感じである。
「安さ」、そして例の「安心」「安全」も含めて、食の最適化は今こそ必要である。
まさに凍えるような不況下にある北海道で、こんなキレイゴトを頑張って言い続けるか(付加価値追求か)、あるいはナリフリ構わずどこまでも進むか(体力勝負の安さ提供か)…そのせめぎ合いは、いったいどちらに転んで行くのだろうか。
北海道内では、GMSのA社やS社、スーパーB社などが既に「価格据置宣言」を出しており、これらに対抗する意味もあるだろう。
なにしろモノは安いに越したことはない。
そもそもスーパーは“安さが売り”である。
だが…。
安さをどんどん追求して行けば、利益率は下がり、企業体力が削がれる。もちろん売り手だけが痛い思いをするわけではなく、取引先各社にも一部負担を要求することになる。極端な例では、例の「畜肉偽装事件」も、売り場からのコスト要求が底流にはあるだろう。それでなくとも、商品の品質や量目が落ちて行くことにはつながりかねない(実際にそうなっている)。また一律的なコスト削減は、社員・パート・取引先企業の「やる気」も削いでいくことになる。
そうしたクオリティの低下は、ひいては顧客サービスの低下にもつながっていく。
長い目で見れば、“安さは諸刃のやいば”にほかならない。
一方、我らがC社は、この動きに対しては静観の構えである(PB(Private Brand)商品はそれなりに低価格維持基調なんだけど)。
長い目で見れば正しい態度である、とオレごときは思うんだけど、他社が低価格を打ち出している以上、黙って手をこまぬいているわけにも行かない。いかに価格で対抗して行くか、あるいはいかに価格で対抗できているように見せるか(つまりは「安さ感」の追求)は避けられない課題となっている。
そこでこの本。
ヒントでも載っているかと思って安土敏氏シリーズである。
「「安売り」礼讃に異議あり」 安土敏 (東洋経済新報社)
結論から言うと、「安さとは何か?」は教えてくれるが、もっと卑近な関心「安さってどう作るの?」については(社会的な枠組みとかの大きな話ししか)教えてくれないのであった(´Д`;)。
もっとも、示唆は随所にある。三点ほど挙げてみる。
まずは、「安さとは何か?」。他店の同じものより低価格であるか、他店の同じ価格の商品よりも品質がよいか、どちらかである。要は相対的な問題であって、ひとつの「安さ」というものは存在しない。
二点目は、「スーパーマーケットとは“そもそも安さが売り”な店のことではない」という驚くべき指摘である。
アメリカ国で生まれたスーパーマーケット、その原点に立ち返ってみると、それは「近所にあって普通の食料品を売る店」である。(前に読んだ「創論」でも説明されている)
目玉として値引き販売も行うし、企業活動として安さを追求するのは当然のことだが、それは実は本質ではない。「普段使いの食品」という切り口のもとでは、安さだけではなく、提供のタイムリーさ(新鮮さや旬)、関連性の提示(同一商品の選択肢やクロスMD)、食生活提案(メニューやレシピ)など、さまざまな要素が付加価値(競争力)となり得る。
本質部分を忘れてスーパーでござい、とやっても、正道を外しているんだからうまくいくはずがない、ということだろう。
“安さ”一辺倒ともいえるスーパーにはM社やO社、J社のような店もあるが、グロサリーが他店より安いのはいいとしても、生鮮品の品質はちょっと買う気にならないレベルである…というのはその一例だろう。短期的にはよくても、長期的・安定的に優良顧客を誘引できるかは疑問の残るところだ。
もう一点は、「日本ではそもそもなぜ物価が高いか」の原因追及である。
曰く、「規制」(行政が正しい競争を阻害している)、「一極集中」(「道路」はすなわち東京への道である)、「法人」(とくにバブル期に顕著に見られた、「社用」の料金体系)の3つがそれであるという。
よくぞ言ってくだすった、という感じである。
「安さ」、そして例の「安心」「安全」も含めて、食の最適化は今こそ必要である。
まさに凍えるような不況下にある北海道で、こんなキレイゴトを頑張って言い続けるか(付加価値追求か)、あるいはナリフリ構わずどこまでも進むか(体力勝負の安さ提供か)…そのせめぎ合いは、いったいどちらに転んで行くのだろうか。
Comments