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2007/08/06 月

大相撲は国技か

先週の水曜に、「とくダネ!」の小倉智昭氏が「相撲は国技ではない」と発言したという。(見てないけど)

へぇ~。てっきり国技だと思っていた。
が、にわかには信じられないのでちょっと調べると、法律で定めたり、政府が奨励したりはしていない、ということらしい。(たとえばここ。なぜリコー?(笑))

一方、Wikipediaを見ると、その根拠は書いてある。
「国技(こくぎ)とは、各国固有の武術・スポーツ競技を指す。また、各国で競技人口の多いスポーツ競技も国技と呼ばれることが多い」
「1909年(明治42年)6月2日に作家の江見水蔭が執筆した開館式の披露文(相撲節は国技であるという内容)にヒントを得て、3代尾車親方(大関:大戸平廣吉)が命名委員会(会長:板垣退助)に提案し、了承された名称両国国技館により相撲は国技となった」
参照

こうして見ると、明確な定義はないけれど、大方の國民が日本ならではのスポーツだと認めれば国技でよい、ということだろう。
大相撲も、発端は単に「名前をつけた」だけかも知れないが、今や十分に国技でいいんじゃないか。国内のみならず、国際的認知もある。

小倉氏の発言も「ぼくは国技だとは思わない(認めない)」ならまだしも、「国技ではない」とTVで断定するのは言い過ぎだったのではないだろうか。


*
ところで朝青龍モンダイが後を引いている。
ノイローゼとも「うつ」直前とも伝えられる。
確かに帰国療養がいちばんいいと思うが、ここでモンゴルへ帰ったら、診断書を出して帰国してナカタとサッカー事件を起こした構図の繰り返しになる。どっちにしても、再起不能になるかも知れない。

朝青龍は好きではないが、強い・上手いのは確かなので、こんなことで引退にでもなれば残念なことである。

なにしろ、お国がモンゴルだというのがいけない。いや、モンゴルがダメなのではなくて、「外国人力士」がいけない。

外国人力士は、力はあるが、所作・身のこなしはおしなべて日本人とは異なる。相撲では心技体というが、心も当然異なる。
あらゆる意味で、相撲の型を逸脱しているのは間違いない。

基本的に外国人力士は一切認めないか、大相撲の「心」(しきたり習慣、賞罰のあり方含めて)を変えて行くか、どちらかにしなければモンダイは繰り返されるだろう。

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Comments

> 国技(こくぎ)とは、
> 各国固有の武術・スポーツ競技を指す。
> また、各国で競技人口の多いスポーツ競技も国技と呼ばれることが多い

という条件なら、やっぱり相撲は国技じゃないと断言できます。

識者なら、相撲が国技ではないことぐらい知ってます。
断言しますよ。バカじゃないんだから。

競技人口は少ないし、アジアには相撲に酷似(日本の方がまねた可能性が高いが)しているスポーツもあり、日本固有とはいいがたい。柔道や剣道も国技ではないでしょ。おわかり~!!

だいたい、自分の都合だけで「国技」なんて定義つける傲慢な人間が多くて仕方ない。高校野球が国民のための高校生スポーツだと決めつけ、高校球児は清清しいなんて幻想持ちたい人と同じですね。

その果てに、品格がどうのとわめいている。品格などというモノを簡単に漢字2文字で語るなんて、品格が無いんじゃないの(笑)品格があるかないか客観的に見ることは不可能であることを知るべきです。

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