インターネット的
「インターネット」 糸井重里 (PHP新書)
やっぱコピーライターだなぁと思うのは(コピーライター的だなぁ、と言うべきか)、まず「インターネット的」という言葉をつくって、技術としてのインターネットと、インターネットに載せるべき(載せるとよい)ことがらを分けたことですね。
技術や手法にこだわり過ぎると、本質を見誤る。著者はちょっと離れて、その本質を捕らまえ、実践したいと考える。そこが違うなぁと。
では本質とは何か。
難しいことはない、やっぱり「正直は最大の戦略である」ということでしょう。
マス・プロダクション(生産至上主義)の中では、社会構造はヒエラルキーであり、商売の指標はマーケティング(抽出と平均)であり、生活者の嗜好もブランド優位だった。
それがインターネットの到来で、「権威」の枠組みが変わり、「評判」が市場を代表し、「個々」が前に出るようになる。消費者主権の世界です。
その中では、駆け引きや作為、嘘や隠し事、過や不足があると、すぐに見破られます。逆に、ありのままに提示すれば、正しく「返り」がある。
つまりビジネスやコミュニケーションのあり方は、「正直」にシフトしているのではないか。
私なりにかいつまむと、そんな話になるような気がします。
2001年初版の本ですからやや時間は経っていますが、その直観は、まったく正しいように思われます。
(と言って、その実践例である「ほぼ日」を読もうかという気にもならないのですが(笑))
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ただ時間が経って少し古びたかなぁと思ったのは、インターネットにはまだまだ「バカが足りない」という指摘です。
バカとは悪い意味ではなく、本当のアイディア、知恵、自由は「バカやってるなぁ」というところで生まれるというのですが、mixiからTwitterの時代を経て、だいぶ「バカ」は増えているように思います。(悪いバカもいますが)
いずれにおいても、価値観はもう変わっているので、既存の常識にしがみついていては苦しくなるばかりでしょう。
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