朝市やのみの市を見物した後、クリニャンクール駅から地下鉄に乗る。カルネを買い、ブーローニュ・ポン・ド・サンクルー駅まで乗り換えを含め約20分の旅。隣席に座ったポルトゲーゼだというおばちゃんに声をかけられる。「中国人か日本人か?」に始まり、なかなか味のある笑顔でいろいろ話しかけてくれるのだが、さっぱりわからない。ノン・シノワ、ジュ・スイ・ジャポネとか言ったきり東洋的スマイルを返す。そのうちおばちゃんもつまんない顔になってしまった。すまん。
駅ごとにアコーディオン弾きやSAX吹きが乗り込んで来て、電車の中で演奏を始める。特にオデオン辺りは芸人のメッカらしい。
駅から出た方角が思ったのと違ったようで、森のほとりをかなり遠回りする。いつ果てるともわからぬ、枯れ葉や栗の実が落ちまくっている道を20分ほども歩いて、ようやく競馬場正門に到着。ゲートとその白い瀟洒な建物が見えた時は感動したなあ。
入場券売場窓口に料金表が書いてある。指定券の案内ででもあるのかと思ったらそうではなく、開催内容によって入場料が違うらしい。凱旋門賞の日は50F。高い。
しかしその日が、パリの競馬ファンにとっても特別な日なのは間違いない。続々と、着飾った紳士淑女が集まって来る。さまざまな帽子、おしゃれ。客はほとんどがちゃんとした大人。明らかにハイソな人も多いし、質素だがこの祭典のために精一杯おしゃれして来たよ、といった感じの人もいる。モギリとレープロ配りのおねえちゃんたちも黒いコートに真っ赤なローブという素敵な制服。それに素敵な脚で、素敵な笑顔を配っている。
(左は、エルメスのデザイナー、ユベール・ド・ワトリガン作のイラストが飾るレーシングプログラムの表紙)
パドックがまた広い。馬がまわるオーバルの中を縫うように、林然と木立ちがあり、いく筋かの小道が巡っている。中央に屋根付きの放送用カウンターがあり、TVカメラがスタンバイしている。時折ジョッキーが呼ばれてインタビューに答える。オリヴィエ・ペリエ(フランス語ではペスリエ、とスペル通りに発音しているような気がする)の顔も見える。青服はデットーリと思われる。
中でも驚いたのは、パドックにもモニタディプレイが設置されており、レース風景が見られること。パドックでは、レースを見ながら怒号を上げたりはしないのだろう、その辺りはやはり大人な競馬文化なのである。一方、オッズは出ない。リザルトも出なかったように思う。配当は、場内の専用TVモニタに表示されていたようである。
サンドイッチを食べビールを飲みしつつ第1レースを待つ。第1レースの発走は13:55なので、みな友人と談笑したりシャンパンを開けながらゆったりとレースを待つわけだ。
馬場に出て見る。とにかくだだっ広い真緑の空間。東京と同じような“ターフビジョン”が2基設置されている。振り返ると、白いスタンドに緑の植物がワンポイントで下がり、これまた実に美しい。
場内には日本人も散見できる。みな心得たもので、スーツを着たりしている(おれもこの日のためにジャケット持参である)。
馬が馬場へ出、返し馬が終わるとほどなくスタートとなる。オーストラリアでもそうだったが、馬に負担をかけないためかもともとそういう習慣なのか、ここの間隔がえらく短い。おかげで、馬券を買う時間がないどころか、どっと混み合った窓口に並ぶいとまさえない。スタート直前というのにあんなに人が並んで、いったいみんな馬券を買えるのだろうか? ちなみに一般向けの馬券は10Fから。券種には単(ギャグナン)、複(プラッセ)、馬連(ジュムレ)、拡大馬連(ジュムレ・プラッセ)、三連複(パリ・トリオ)の5種があるらしい。
ファンファーレが鳴り、スタート(ファンファーレは馬場入りの時に鳴るのだったかも知れない)。スタートと同時に、日本の馬券締め切りを思わせるブザーが鳴る。実際に締め切りなのかも知れない。
ひとつのレースが終わって再びパドックにとって返すと、静かな華やかさが感じられる表彰式が行われる。賞品のプレートを受け取ると、ジョッキーは必ずパドックをだーっと駆け出し、控え室に戻って行くのが面白い。
次のスタートまでの待ち時間が長い。パドックの中には、いかにも貴族然とした馬主とその家族が入って行き、ジョッキーと談笑している。ジョッキーはいわば雇い主に挨拶や今日の様子を報告する、といった趣である。ゴドルフィンやアラブの王族がずいぶんたくさんの馬を出しており、パドックの近隣で「シェイク・モハメドよ」というおばちゃんの囁き声が聞こえた。あれかな?とは思ったが、顔を特定できなかった・・・(ヒゲを生やしたアラブ人はみな同じに見えるし)。
まだまだレースは残っているが、雨がパラついて来たこともあり、競馬場を後にする。メインレースが終わると、多くの人が帰って行くようである。来る時に迷わなければ通るはずだった道を、傘をさして歩いた。ブーローニュの駅まで約30分。歩いている人はほとんどいない。無彩色の街がきれいであった。
(98/10)